(※今のインスピレーションを忘れないようにあわてて書き留めておこうという記事です)
とりあえず、『ロジャー・ラビット』という作品についても触れておきたい。(記事執筆時点で、なんとタイミングよくアマプラに来ていた!)
Amazon.co.jp: ロジャー・ラビット (字幕版)を観る | Prime Video
アニメ映画のスター、ロジャー・ラビットは最近妻ジェシカが浮気をしてるという噂を聞き撮影中にNGばかり。一方、探偵のエディ・
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ロジャー・ラビット|ディズニー公式
「ロジャー・ラビット」の作品サイト。作品紹介やあらすじ、キャスト/スタッフ、商品ラインナップなどディズニーのブルーレイ・D
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簡単に言うと、「アニメキャラクター」が全員本当にこの世界に生きていて、アニメーション作品とは彼らの演技をカメラで撮影しているだけなのだという世界のお話。「トゥーン」たちは一部の人々から差別されていて、果てには「トゥーン」たちを溶かして抹殺することができる液体とかも発明されていて……。
アクター=アニメキャラクター、それを雇用し撮影している=人間、という構図……。『ビビデバ』のMVがこの『ロジャー・ラビット』から大いに「借りて」いることは、さすがに疑いようがないだろう。
これまで「人間とVTuberの共演」といえば、 とにかく3Dモデルを使ってAR合成、そしてその合成の精度を演出やライティング等含めてどう確度を上げていくか……みたいなアプローチが、いつしか主流になっていた。だけれど、あえてモデルを2Dにしてデフォルメ化し、しかも「バーチャルと人間は同じ立場なんだ」というアプローチを取らずに「むしろ全然違う、お互いに断絶した存在」として描く『ロジャー・ラビット』スタイルは、本当に、全く、これまで考えもしなかったアイデアだった! 「私たちは並び立つ存在なんだ」、ではなくて、ひたすらバーチャルを「異物」として描くこの技法は、もちろんパッと見ているだけでも凄すぎて楽しいし、一方で、本作に満ち満ちた、バーチャルという存在の「違和感」を浮かび上がらせるのにぞんぶんに貢献している。
……これまでVTuberたちは、ヒトとバーチャルの垣根をどのようになくしていくか、について心を砕き続けて来た。バーチャルYouTuberの実質的なはじまりであるキズナアイは、「バーチャルという存在」がこの壁をいかに突破するか、そしてそこに普遍的なカタルシスの物語(例えばそれは、ダイヴァーシティー)をのせるか、を、やり続けて来た。
特にこの『AIAIAI』のミュージック・ビデオには、そのすべてが詰まっている。クライマックスに用意された、思わず「あっ!」となる驚きの仕掛け。VTuberが好きであれば、誰もが忘れられない瞬間だろう。いつか私たちの元にも、本当に「壁」を突破して、今は想像もつかない形で、キズナアイはすぐ横に現れるのではないか。そういう夢と信念が詰まっていた。
けれど実際には、今もなお、「バーチャルYouTuber」というものへの風当たりは強い。「素顔を見せたくないだけの、ずるい、気持ち悪い人たち」というのが最もマジョリティな印象だろうか。それはもちろん、そもそもキズナアイ的な「物語」の強いVTuberがたった6年間でガクッと減り、コロナ禍以降の「生配信」のトレンドにのった、単に「面白いことをしたい人たち」の選択肢の一つとしてこのスタイル自体が定着してしまったこともあるだろう。(そして、僕は、それをとっても愛おしいことだと思っている!)
一方で、『ビビデバ』である。
まずキャラデザがすごい。絶妙に「気持ち悪」い!! 近年の80'sリバイバルなアニメキャラのモチーフ、海外のカートゥーン風なイメージも導入しながら、いま大いに盛り上がっている#indie_animeな文脈を混ぜ込み、そして全てからちょっとづつズラして、「可愛い」も感じさせつつしっかり「異物感」を強調(デフォルメ)している。これがかえって絶妙に「ワールドワイドな今の日本」アニメっぽさ(「ジャパニメーション」よりもさらに最近の)に繋がっているのがユニークだ。そしてアニメーションそのものの出来の良さ!! 作画、撮影、編集、そもそもの動きのアイデアや見せ方……ものすごい高等な技術を何層にも駆使してこれを「映像になじませよう」とした結果、実写の中でアニメキャラクターが動いているという「気持ち悪さ」が、むしろますます強調されているのが素晴らしくうまい。
特に最初のサビのシーン(1:00)。瞬きもしないでダンスをおどる二人の「不気味さ」なんて、ハンパない。ロトスコープ(実写をなぞって作画するアニメーションの技法)の強みをぞんぶんに生かしたカットだろう。アニメキャラクターが人間のように踊り(というか人間の踊りをトレスしているんだから人間そのものなんだけど)、しかしルックはアニメにもちゃんと見えている、という、まるで右目と左目で見ているものがズレているかのような居心地の悪さが、この映像の「違和感」を巧みに作り出しているのだ。
ここには、「アニメキャラクターと人間が共存している素敵な世界」を描こうなどという、キズナアイ的な意図など、皆無だ。むしろその全く逆……真剣に見れば見るほどゾッとするような不気味な映像……そして、それがこんなにも陽気で妖艶な音楽と共に載せられていること。さらに裏側では、リアルの人間たちがノリノリになって、こんなアニメキャラクターたちに「踊らされている」ということ。これほどまでに「気持ち悪い」シーンを、しかもサビで、やってのけていること……。
そして、ハッとする。この「気持ち悪い……」をここまで露骨に、露悪的に、しかし洗練された内容として提示された途端、まったく逆説的に、これまでVTuberと人間とを隔てていた「もう一つの壁」が「壊されている」感覚にさせられるのだ。
「2D」と「実写」を隔てるラインをここぞとばかりに強調する360度カメラは、絵との合成をよりやりやすくしているのだろう、と素人目にもわかりやす~く「このカメラワークを使っている意味」を意識させ、「これってアニメは合成だよね」という「メタ」をこちら側に強烈に植え付ける。それもまた、鑑賞全体の違和感をさらに増強させる。
そして、その上で、「アニメ」と「人間」が掴みかかりのケンカを起こした途端、すべてが「ひっくり返」る。
アニメキャラクターは現場でそれなりに大切にされているように見える。人間のほうがよっぽど非人間的な扱いだ。この描かれ方は『ロジャー・ラビット』を多少なぞりつつも結果的に逆にしていて、ここもまた「何となく感じる違和感」を巧みに生み出している。アニメキャラクターは周囲からおだてられた果てに、「下の立場」の人間にたっぷりと感情移入し始め、「あなたたちなんて別にいらないんだけどね?」とでも言いたいように、ぬるっと現場を後にしてしまう。ガラスの靴を脱ぎ捨てるシーンは、もちろん素直に「与えられた、押し付けられた役割」から自由になれたカタルシスを描いているとも言えるし、同時に、そんなものを脱ぎ捨てるだけで私は自由になれるのだ、という、アニメキャラクターのカンチガイに満ちた傲慢さを、凡庸な驕りをも感じさせる。
ラストのサビ、あまりにも商業系のMVや広告系のヴィジュアルで見る、平凡極まりない「ダンス動画」へと映像は変貌する。おそらくは本人しか満足していない、本人の世界だけでキラキラしている、しかし本人だけは開放され満足げな、(型にはめられた大量生産の)そのダンス。ただアニメの頭がくっついただけの人間。
VTuberとは「何」だろうか? ヒトのアイデンティティとは、何だろうか?
さまざまな露悪的な演出を加えつつもギリギリで「自己言及的な風刺」を保ち、「星街すいせい」のイメージも土俵際で守りながら作られたスマートな「クライアントワーク」であり、そしてVTuber業界のみならず、アニメーション界隈(商業からインディペンデントに至るまで全方位!)、映像系、広告、そして現代アート、ありとあらゆるクラスタを挑発する、まさに2024年の""劇薬""だ。
そして、「こんなもの」にすら、私たちは熱狂するのだろうか? 「こんなもの」なダンスをマネして踊って、Tiktokとかに載っけちゃうのだろうか?
最後までどこか俯瞰した、冷めた気持ちにさせられる、まるで明晰夢のような悪夢。ああ、ほんと、これこそが「ポップ」だろう!
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