しろとの出会い:雪の中の縞模様
10年前の冬。冷たい風が吹き抜ける公園で、私は妹と、その小さなマルチーズ「多綠」と一緒に散歩をしていました。妹は実家に住み、多綠とほぼ毎日公園を歩いています。
その日も変わらず、私が様子を見に実家へ寄った後、一緒に外へ出たのです。公園の奥に差し掛かったとき、ふと視線を感じて立ち止まりました。植え込みの隙間から、ひとつの影がこちらをじっと見ていました。
猫でした。白を基調とした毛並みに、ところどころ淡く縞模様が入っている。全身が真っ白なわけではなく、耳の付け根や背中、しっぽの根元あたりに、うっすらと虎のような筋の模様が見えていました。その姿は、まるで雪原に立つ小さな野生動物のようで、美しさと同時に不思議な力強さを感じさせました。
「ねえ、見て。猫がいる」と私が言うと、妹は「またかあ」と笑いました。妹はあまり猫に特別な興味を持っていません。でも、多綠は違いました。小さな鼻をヒクヒクさせて、興味津々と猫の方へ歩き寄っていったのです。
猫は最初こそ身構えたようでしたが、多綠の落ち着いた様子を見てか、少しずつ近づいてきました。そして、何も言わず、私たちのあとをゆっくりとついて歩き始めたのです。
その日から、私たちはほぼ毎日のようにその猫に会うようになりました。
心境の微妙な変化
出会ってから1ヶ月が経った頃、「しろ」はもう私たちの散歩に欠かせない存在になっていました。毎日、公園の入り口まで迎えに来るようになり、「多綠」の後ろを静かについて歩きます。
ある寒い日、妹が少し疲れてベンチに腰をかけたときのことです。「しろ」は迷いなく妹の膝に飛び乗り、そのまま丸くなって寝てしまいました。私は思わず妹の顔を見ました。元々、猫に特別な興味を持っていなかった妹は、意外にも何も言いませんでした。むしろ少し困ったように眉をひそめながらも、そっと「小白」の背中に手を添えていました。
「……まあ、寝てるだけだしね」と、ぽつりとつぶやいたその声は、あたたかくてやさしかったのです。
その足元では、「多綠」がじっと妹と「しろ」を見上げていました。いつもは妹の膝の上が自分の特等席。そこに見慣れない猫が眠っていることが、少し不満だったのでしょう。小さく鼻を鳴らして、くるりと背を向けてベンチの下に座り込みました。私と妹は目を合わせて笑いました。「多綠」の小さな嫉妬が、まるで家族の中でのちょっとしたケンカのようで、格別に可愛く感じました。
こうして、少しずつ、「しろ」は私たちだけでなく、妹や「多綠」の心にも溶け込んでいきました。
はじまりの異変(11月の夜)
それは、冷たい風が吹き始めた11月の夜でした。
木々の葉は色づき、公園の道には落ち葉がかさかさと積もり、街灯の光に照らされていました。
私は妹と、「多綠」を連れて、夕食後の散歩に出かけていました。
11月にしては風が冷たく、夜の空気はどこかぴんと張り詰めた静けさを持っていました。
公園の片隅から、「しろ」がいつものように姿を現しました。白い体に淡い縞模様。
街灯に照らされたその姿は、寒空の下でぼんやりと浮かび上がり、まるで落ち葉の海に降り立った雪のかけらのように見えました。
私はポケットから小さな猫用缶詰を取り出し、ベンチのそばに置きました。
「しろ」は静かに寄ってきて、控えめににおいをかいだあと、ゆっくりと食べ始めました。
その姿を見ながら、私はほっと息をついた――そのはずでした。
けれど、食べ終えて数分もしないうちに、「しろ」がふと動きを止めました。
そして、口を開けたかと思うと、突然、吐き出してしまったのです。
「……しろ?」
私は慌てて駆け寄り、「しろ」の背中に手を当てました。
体は小さく震えていて、何かが明らかにおかしいとすぐにわかりました。
「多綠」も不安そうに妹の足元でじっと立ち止まり、様子を見ていました。
私は少し迷ったあと、小さな声で言いました。
「……今から、病院に行けるかな?」
妹はすぐにスマートフォンを取り出し、夜間診療の病院を探し始めました。
時刻はすでに深夜。ほとんどの病院は閉まっていたけれど、やっと知り合いの先生に連絡がつきました。
私は「しろ」をそっとタオルで包み、胸に抱きかかえます。
妹はすぐに車を出してくれて、私たちは夜の街を走り出しました。
車の中、窓の外は静まり返っていて、街灯がぽつりぽつりと流れていく。
色づいた街路樹が風に揺れ、冷えた秋の空が、静かに私たちを見守っているようでした。
「しろ」は私の腕の中で小さく丸まり、目を閉じて、かすかに呼吸を繰り返していました。
病院に着くと、まだ明かりのついていた受付の奥から、獣医さんが急ぎ足で姿を現しました。
車を降りた私は、猫用キャリーではなく、タオルで包んだままの「しろ」をしっかりと抱えて扉を開けました。
先生は、以前から私の猫たちを何度も診てくれていた人。もう長い付き合いです。
でも、この子――「しろ」を診てもらうのは初めてでした。
「こんばんは……夜分すみません」
そう言いながら受付をすませると、先生がすぐに診察室の奥から出てきて、緊張した表情で言いました。
「どうしたの? 症状は?」
「公園にいた子で……缶詰を食べたあとに急に吐いて、体も震えてて……」
先生はうなずきながら短く言いました。「わかった。すぐ診せて」
その声に迷いはなく、私は急いで「しろ」を差し出しました。先生は丁寧かつ手早くタオル越しに状態を確認しながら、診察台へと連れていきました。
「胃腸がかなり弱ってるね。ずっと外にいたんだろうな。今のうちにしっかりケアしないと、冬を越すのは難しいかもしれないよ」
その言葉が、胸に重くのしかかります。
私はひと呼吸おいて、心の奥から押し出すように言いました。
「……うちで預かります。この子のこと、責任を持ちます」
小さな声だったけれど、それは自分の中で確かに固まった決意の瞬間でした。
その時、「しろ」は私の腕の中で目を細めて、「にゃ」と小さく鳴きました。
その声が――まるで「ありがとう」と言っているように聞こえたのです。
静かな始まり
「しろ」が私の家に来た最初の夜、部屋の空気は、いつもより深く静かに感じられた。
テレビはない。音もない。ただ、私と、すでに暮らしている2匹の猫たち、そして今日からここに加わった「しろ」。
その気配が、空間のすべてをやさしく包んでいた。
私は、「しろ」のために小さな寝床をベランダに置いた。 そのベランダで窓の向こうは中庭だ。普段はガラス窓を閉めているけれど、昼間は光が差し込み、小さな陽だまりができる場所だった。
「しろ」は窓のそばに身を寄せて、静かに座っていた。その姿が、まるで光に照らされるように見えて、私は言葉もなく、ただ見つめていた。
“ここが、君の場所でいいんだよ” 言葉にはしなかったけれど、そんな思いが、空気にふわりと溶けた気がした。
窓は閉じられている。でも、空はそこにある。 外の冷たい風は入ってこない。けれど、光と空の気配だけは、やさしくこの部屋に届いていた。「しろ」はその小さな世界を、すぐに気に入ってくれたようだった。
最初の数日、「しろ」はとてもおとなしかった。 私と目が合うと、少しだけまぶたを下ろして、「にゃ」と短く鳴いた。 それだけで、十分だった。
すでに家にいる2匹の猫たちは、「しろ」の存在に興味を持ちつつも、一定の距離をとっていた。 でも、けんかはしない。睨み合うこともない。
私の家には、猫たちが自然に空間をわけあいながら、静かに共に生きる“やさしいルール”があった。
ある日、「しろ」は窓辺にのぼり、ガラス越しに外をじっと見ていた。 ベランダの外に広がる景色――風にゆれる木々、遠くの音、冷たい夜の匂い。 そのすべてが、かつて自分の居場所だった。
でも、もう帰る必要はなかった。 私はその姿を見ながら、温かいお湯を沸かし、夜の静けさをそっと受け入れた。
«出会いの瞬間»
「しろ」が私の部屋に来た夜、私はまず、そっと体を洗ってあげた。 冷たい風と土の匂いをまとった毛が、ぬるま湯の中で静かにほどけていく。
「しろ」は一度も鳴かず、暴れることもなく、じっと私に身を預けていた。 まるで、この静けさを選んだかのように。
そのとき、風呂場の外から2つの視線がこちらをじっと見つめていた。 トラ猫(8歳)と三毛猫(5歳)。 彼らは先にこの部屋で暮らしていた私の大切な猫たち。
トラ猫はおおらかな性格で、「しろ」を特に警戒することもなく、静かに受け入れているようだった。
三毛猫は繊細で、気持ちをすぐに表に出すタイプ。「しろ」に対して少し不機嫌そうな態度を見せた。
でも、「しろ」は誰とも争わない。 ただ静かに目をそらし、距離をとっていた。 それは、まるで「この場所の空気を壊したくない」と言っているようだった。
<第一夜>
― 扉の向こうの視線
お風呂のなか、「しろ」は私の手の中でじっとしていた。風の匂いと、冷たい体温。 シャワーの音が静かに響く夜。
「しろ」の心の声: 「ここは……あたたかい……でも知らないにおい。水……ちょっとこわい。でも、この人は、やさしい。」
そのとき、扉のすぐ外。 小さな足音がふたつ。 部屋の猫たちが、音も立てずに近づいてきた。
Nya(三毛猫)の心の声(鋭くて敏感): 「なに、このにおい……知らない毛のにおい。中にいるの、猫? 犬じゃないよね……でも、なんで水の音……?」
Nyaは扉の隙間から鋭く覗き込んだ。 目を細め、耳をぴくりと立てる。 警戒、でも――強く興味を惹かれている。
Kuu(トラ猫)の心の声(寝起きでやさしくてのんびり): 「ん……なに? 誰かいるの?ふぁぁ……Nya、また怒ってるの? ……ちょっとだけ、見よっかな。」
Kuu(トラ猫)はまだ寝ぼけた顔で、のんびりと扉に顔を近づける。 しろの姿をちらっと見て、ぱちぱちと目をまばたき。
Kuu(トラ猫)の心の声: 「……ちっちゃいね。こわがってるのかな。なんか……うちの誰かみたい。」
シャワーの音が止まり、タオルにくるまれた「しろ」がふわりと私の腕の中に。 その様子を、扉の外のふたりはじっと見ていた。
Nya(三毛猫)は、少し唸るような音をのどの奥にためながら目を細め―― Kuu(トラ猫)は、まるで夢の続きのように、ただ静かに座っていた。
Nya(三毛猫):「……ちょっと、あたし、まだ気に入ってないからね。」
Kuu(トラ猫): 「……だいじょうぶ、かな。ねえ、寒くなかった?」
「しろ」: (声にはならないけど、そっと私の胸に頭を寄せながら) 「……ここ、あったかい。少しだけ、安心。」
その夜、まだ言葉にはならない“対話”が、 静かに――でも確かに、始まっていた。
《Nyaの独り言》──お風呂編
Nyaの心の声:
「……あの子は小さすぎる。風が吹いたら飛んでいっちゃいそう。それに、知らない匂い……中庭の落ち葉のような香り。」
Nyaはそっと足を止め、浴室のドアの影に身をひそめる。尾がふわりと揺れ、ひげが空気の変化を探るようにぴんと張る。その心には、じわじわと警戒心の糸が巻かれていた。――「あの子」を迎える準備なんて、まだ全然できていない。
Nyaの心の声:
「こんなに小さいのに、どうして私たちとこんなにも違うの?見た目も、動きも、匂いも……私とは、まるで別の生き物みたい。体が濡れていて、冷たそう。私だったら、こんな風にされたら、すぐに毛を逆立てて逃げ出す。」
Nyaはその場にじっとして、見知らぬ小さな背中を見つめ続ける。しかし、警戒心の中に、ひそかに「好奇心」が芽生え始める。
Nyaの心の声:
「でも……あの子はとてもおとなしくて、気品がある。まるで、空中にふわりと舞い降りた柔らかな毛のよう。どうして、こんなに見知らぬ場所なのに、怖がらないのだろう?」
Nyaは近づこうとはせず、ただ少し体勢を変えて、よりよく見える位置へ。「あの子」はまだ人の腕の中で、濡れた体のまま、静かにそのぬくもりに身をゆだねている。その落ち着きに、Nyaの胸の奥が、ほんの少し、揺れた。
Nyaの心の声:
「……こんなに小さいのに、あまり怖がっていないなんて。もし近づいたら、どんな反応をするのだろう?もし、嫌われたらどうしよう。」
そのとき、Kuuが眠たげな顔で、のそりと部屋に入ってきた。何も言わず、いつものようにのんびりとした足取りで、そっと座り込む。
Nyaはちらりと彼女を見て、ピクッと耳を動かしながら、少しだけひげの緊張をほどいた。
Nyaの心の声:
「……Kuuは、きっと大丈夫って思っているんだろうな。いつだって、気にしないふりしているから。」
「でも私は……まだ、怖いんだ。」
夜が深まるたびに、Nyaと「あの子」の視線がふと交わるたびに、Nyaの心に、かすかなひっかかりが残った。
そして――あの小さな体が、濡れたまま、無防備に人の胸に顔をうずめたとき。
浴室からふわりと現れたその瞬間、Nyaはふと、胸の奥で「コツン」と何かが鳴ったように感じた。
音にならない感情の揺らぎ。
それはまるで、誰にも気づかれぬまま閉ざされていた扉が、静かに、そっと開かれたようだった。
家族の輪の中へ
最初の1週間で、吐き気や体調の不調は落ち着いた。 でも、「しろ」はすぐには部屋の中に入らなかった。
私の部屋にはキッチンもない、小さな静かな空間。 その一角にあるベランダに面した窓の外側―― 冷たい風とやさしい光が交差するその場所が、「しろ」の最初の拠点だった。
日中、「しろ」はガラス越しの陽だまりに身を沈めていた。夜になると、「しろ」は網戸のそばに座り、風を感じながら身を小さく丸める。
時々、部屋の中をのぞきに来ては、私や他の猫の様子をうかがい、またベランダへ戻っていった。 その「試すような時間」は、3ヶ月ほど続いた。
ある日、「しろ」が部屋の真ん中に座った。
トラ猫がその横に腰を下ろし、何も言わずに目を閉じる。 しばらくして、Nya(三毛猫)がそっと近づき、少しだけ離れた場所に座った。 誰も声を出さない。 だけど、その沈黙の中に、こんな“会話”が流れているような気がした。
Kuu(トラ猫)の心の声:
「ここは静かでいい。君がいても、それはそれで、いい。」
Nya(三毛猫)の心の声:
「まだちょっと、許せない気持ちもある。でも……悪い子じゃないのは分かってる。」
「しろ」の心の声:
「ありがとう。僕は、ここにいてもいいのかな。……ここが好き。」
そして3匹は、何も言わずに、ただ同じ空気の中にいた。 その一瞬が、家族の始まりだった。
やがて、「しろ」はベランダに戻らず、部屋の中にとどまるようになった。 ある夜、毛布の上で私の足元に体を沈め、そのまま目を閉じた。
その姿を見て、私は心の中でそっとつぶやいた。 「……ようこそ、私たちの輪の中へ。」
トラ猫とはすぐに並んで眠るようになった。 目を合わせるわけでも、体を寄せるわけでもないけれど、そこには確かな安心感があった。
Nya(三毛猫)は、しばらくのあいだ不機嫌だった。 ときには「しろ」に向かって低く鳴くこともあった。
でも、「しろ」はいつも目を伏せ、少し身を引いて、空気をやわらかく保った。
3ヶ月――静かな時間が流れたあと、「しろ」はすっかりこの部屋に溶け込んでいた。 主張しない。 でも確かに、ここにいる。 それが「しろ」のやさしい生き方だった。
季節はゆっくりと冬の終末に向かい、11月の冷たい夜に出会った「しろ」は、 少しずつ、確かに――“私の家族”になっていった。
《キャットタワーの朝》
朝日がそっと差し込む頃、部屋はまだ静かだった。
窓辺に立つ高いキャットタワーの上。
そのてっぺんに、Nya(三毛猫)がひとりでじっと外を見つめていた。
ベランダの向こう、空が少しずつ明るくなっていくのを、じっと目で追う。
Nya(三毛猫)の心の声:
「ここが一番好き。高くて、静かで、誰にも邪魔されない。」
「……あの白い子、今日はどうしてるかな。」
少し下の段では、虎斑猫が丸くなって寝ている。
毛づくろいを終えた後、眠そうに目を細めている。
体を少し陽に預けながら、うとうとしている。
Kuu(虎斑猫)の心の声:
「今日もいい朝だな。あの子(Nya(三毛猫))、元気そうでよかった。」「たまには、毛でも舐めてやらなきゃな。落ち着かない妹みたいだし。」
しばらくして、「しろ」がそっと近づいてきた。
キャットタワーには登らず、下から静かに見上げる。
しろの心の声:
「高いところは好き。でも、あそこには、まだ行けない。」
「……見ているだけでいい。ここにいられるだけで、幸せ。」
Nya(三毛猫)はちらっと下を見た。
目が合った。でも何も言わず、ただしろの存在を確認して、再び空の方へ視線を戻した。
Nya(三毛猫)の心の声:
「今日も来たのね。……ふん。でも、別にいいけど。」
虎斑猫は、うっすら目を開け、二匹の間に流れる空気を感じ取って、尾を軽く揺らした。
Kuu(虎斑猫)の心の声:
「うん、だんだん慣れてきたな。いつか、三匹一緒に並んで日向ぼっこできる日が来るかも。」
朝の光が、キャットタワーの上と下を、優しく包み込んでいた。
言葉はなくても、心は確かに通じている。そんな静かな朝だった。
——それぞれの場所で、それぞれの思いを抱きながら、
少しずつ、心が通じ合っていく。
《おもちゃの小さな争い》
ある日の午後。部屋の片隅に、小さなおもちゃがぽつんと転がっていた。
それに気づいたしろは、音もなく近づき、そっと前にちょこんと座った。
この家に来て、まだ日が浅いしろにとって、見るものすべてが新しく、どこか落ち着かない。
でも、このおもちゃだけは、なぜかこわくなかった。
前足をそっとのばし、ふに、と触れてみる。
しろの心の声:
「これは何……?なんだか楽しそう。」
「まだよくわからないけど……でも、安心して感じがする。」
けれど、そのおもちゃは、Nya(三毛猫)のお気に入りだった。部屋の隅でその様子を目にしたNyaの胸に、ちくりとした痛みが走る。
Nya(三毛猫)の心の声:
「……それ、わたしのだよ。」
「ずっと大事にしてたのに。勝手に触られるの、やっぱりイヤ。」
Nya(三毛猫)は、ぐっと背筋を伸ばし、堂々としろに近づいていく。その気配に気づいたしろは、ふっと顔を上げ、ほんの少し後ろへ下がった。
しろの心の声(とまどい):
「え……? わたし、ただ遊んでただけなのに。」
「これ……あなたのだったんだ。ごめん、知らなかった。」
しろは前足をそっと引き、遠慮がちに一歩さがった。
そのすきに、にゃーはおもちゃをぱっとくわえ、くるっと背を向けた。何も言わずに、ただ静かに──まるで「これはわたしの」と伝えるかのように──遊びはじめた。
Nyaの心の声(すこし誇らしげに):
「やっぱり、ちゃんとわたしのって伝えなきゃね。」
「……でも、あんなに強くしなくてもよかったのかも 。」
その頃、Kuu(トラ猫)は、部屋の奥でごろりと寝そべっていた。
ふたりのやりとりをちらりと見ただけで、細い目をして、あくびをひとつ。
Kuu(トラ猫)の心の声:
「ふふ……またおもちゃでケンカね。」
「まあ、しろもまだ慣れてないし。Nyaもつい強く出ちゃうのよね。」「そのうち、うまくやれるようになるわ。今は、そっと見守るだけでいい。」
しろはそのまま部屋の隅にちょこんと座り、Nyaの背中をじっと見つめていた。
胸の奥に、ぽつんとしたさみしさが残る。
しろの心の声:
「……そんなに怒ることだったのかな。」
「おもちゃって、そんなに大切なものなんだ。」
「わたし、本当にただ、少し遊びたかっただけだったのに。」
Nyaはというと、無言でおもちゃに向き合いながらも、時おりしろのほうを気にしていた。自分のやり方が、ほんの少しきつかったのではないかと、心のどこかで引っかかっている。
Nyaの心の声:
「……あの子、まだ来たばかりだよね。」
「おとなしい子なのに……ちょっと意地悪だったかも。」
「でも……今はこれでいいかな。」
その夜、しろはベッドのすみで、小さく丸まりながら眠っていた。そのすぐ隣には、Nyaが静かに横たわっていた。目を閉じたまま、けれどまだ、何かを考えているようだった。
そのしっぽが、ほんの少しだけ、ぴくりと動いた。
《食いしん坊のKuu》──午後のひととき
あの日は、静かな午後だった。
小白とNyaがじゃれ合って遊んでいるなか、Kuuはいつものように、まったりとした時間を過ごしていた。
彼女にとって、大切なことはひとつだけ。
ごはん。
Kuuはのっそりと私の足元へやってきて、そのぽってりした体をすり寄せてきた。
ふわっとしたお腹で私のふくらはぎをなでるようにこすり、上目づかいでじっと私を見上げる。
Kuuの心の声: 「そろそろごはんの時間でしょ?……まだなの?お腹、ぺこぺこなんだけど。焦らないけど……できれば、私のペースでお願いね。」
そのまま、私の足元で静かにお座り。 ぱっちり開いた目で、何も言わずにアピールしてくる。
Kuuの心の声(ちょっと控えめ): 「見えてるよね?わたし、ちょっとお腹すいてるよ?……まだなら、もう数秒は待てる。お願い。」
そう言いながら、そっとお腹を見せてごろんと横になる。
それはKuuが「ごはん、ちょうだい」を伝えるときの定番ポーズ。
私が机へ向かうと、すぐさまついてくる。 ごはんの準備を眺めながら、小さく何度も「にゃ、にゃ」と鳴き続ける。
Kuuの心の声: 「やっと始まった……待ちくたびれちゃったよ。あのふたりはまだ遊んでるし、私はやっぱり、ごはんがいちばん好き。」
年を重ねて、おっとりしたKuuは遊びにはあまり興味を示さない。
けれど、私のそばで静かに食事を待つ時間は、何よりも幸せなひととき。
Kuuの心の声: 「ねえ、お腹すいたよ。お願い、早くちょうだい。ごはんをいっぱいにしてね。」
やがて、私が笑顔で器を差し出すと、Kuuは満足げに目を細め、自分のごはんをじっと見つめた。
彼女が頭を下げて、ゆっくりと食べ始めた──焦らず騒がず、一口一口を確かめるように味わって。
Kuuの心の声: 「これこれ、この味。これがあれば、もう何もいらない。ふう、満腹……さて、キャットタワーでお昼寝でもしようっと。」
食べること。それこそが、Kuuのなによりのしあわせ。
若い頃のやんちゃさよりも、今は穏やかさと落ち着きが彼女の魅力となっている。
插曲:《夏の夜、台風と停電の中で》
――月光と3匹の猫の心の声
外では風が吠えていた。
雨が窓を叩き、雷が低く、遠くで鳴る。
そして、ふっと――家の灯りが消えた。
停電。
部屋が一瞬にして闇に包まれ、音だけが世界を支配する。
けれども猫たちの目は、その闇の中でも確かに世界を捉えていた。
時折、雲の切れ間から差し込む月の光。
そのたび、世界はまるで銀色のヴェールをまとったように浮かび上がる。
部屋の奥では、3匹の猫が、それぞれの思いを胸に過ごしていた。
|
「Nya(三毛猫)」の心の声:
「……どうして真っ暗になったの? さっきまで、光があったのに……」
「怖い音……窓の外で何かが揺れてる。これ、前にも聞いた。でも、今日はちょっと違う。」
「誰か……そばに来てくれたら……いいのにな 。」
Nyaはそっと部屋の隅に小さく身を縮めながらも、しろの姿を探すように耳を動かす。
「しろ(白猫)」の心の声:
「この音、聞き覚えがあるな……風がうなるとき、何かが飛ぶ。でも、ここは安全だよね?……“あの人”が出ていったときの足音……今でも、耳に残ってる。」
「Nya……あっちにいるのかな?なんだか……ちょっと不安そう。大丈夫だよ。僕はここにいるよ。」
しろは静かに歩を進め、気づかれないようにそっとNyaのそばに座った。
年下だけれど、どこか兄のような落ち着きで――彼女を包み込むように。
「Kuu(トラ猫)」の心の声:
「停電?ふうん……暗いだけなら問題ないけど……この音はちょっと気に食わないな。」
「台風、ってやつ?もう何度も経験したけど……ご飯の時間がずれるのは困るね。」
「でも……あの子たちがちょっと怖がってるなら、近くにいてあげようかな。私がいれば、みんな少しは落ち着くかもしれないし。」
そう考えたKuuは、のそのそと2匹のいるほうへ向かって、静かに横たわる。
そして、静かな“心の会話”が、彼らの間で交わされる――
Nya(小さく、震える声で ):「しろ……? 来てくれたの……?」
しろはNyaの耳元に鼻先を寄せ、静かに頷いた。
しろ:「うん、ここにいるよ。音は怖くないよ、だって僕がそばにいるから。」
Kuu(低く、ゆったりと):「まったく、子猫みたいに……でも、ま、こういう夜は一緒がいいわね。」
しろ(くすっと笑って):「Kuuって、やっぱり優しいね。」
Kuu:「ふん、たまにはね。」
Nya(ぽそりと):「……ありがとう……少し、安心したかも……」
そのまま、3匹は自然と寄り添っていった。
その光は、まるで誰かの手 がそっと撫でてくれるように、3匹を包んでいた。月の光が差し込む場所で、毛がふわりと重なり合う。
風の音はまだ続いていたけれど、その中には、言葉のいらない安心が、確かに生まれていた。
やがて――遠くから私の声が聞こえた。「みんな、大丈夫? 怖くないよ。もうすぐ明るくなるからね。」
その声に、3匹はそっと目を細めた。言葉にしなくても、それが「家族」の証であることを、彼らはちゃんと知っていた。
嵐の夜、3匹の猫たちは、光のない世界で心を寄せ合った。
そして、月明かりに優しく照らされたあの夜から――少しずつ、やさしい何かが、彼らの間に芽生えていった。
《冬の夜の鼓動》
――ひとつの毛布の中
外は寒くて、風の音が窓をやさしく叩く。
暖房のない静かな部屋の中、ベランダに光がちらりと差し込む頃――
そこに、3匹の猫たちがぴったりと寄り添っていた。
白い体の「しろ」は真ん中にいて、
右側にはおっとりとした「Kuu」、
左側にはちょっと臆病な「Nya」が、
まるで小さな毛布のように丸まって、静かに目を閉じていた。
その姿は、まるで時間が止まったような、奇跡のような一瞬。
あの普段、ちょっとしたことで「にゃーっ!」と怒ったり、
おもちゃをめぐって小競り合いをしていた日々が、まるで嘘のよう。
この夜、彼らは言葉もなく、
ただ体温と鼓動を通して、「一緒に生きている」ことを確かめ合っていた。
私がそっと見守るその光景は、
10年という時間が作ってくれた、かけがえのない「家族のかたち」そのもの。
どんなに喧嘩しても、離れたりしても――
本当は、ちゃんと心がつながっている。
そんな風に思わせてくれる、冬の夜の贈り物でした。