【Comment】
10月19日,解放海軍主導的與中國海監的聯合演習,中國國防大學教授李大光不諱言是「對日本的威嚇」,且表示「解放軍絕對會介入」。許多消息來源指出,對日強硬是胡錦濤的授意。
與江澤民留任中央軍委主席2年的情形不同,胡錦濤表明將「裸退」。一般判斷伴隨胡「裸退」的背後,是將親信送至最高當局內。但江澤民等元老、軍方、保守派、改革派等人事喬不定,因此黨大會的日程遲遲不定。
但此時發生尖閣風暴。胡錦濤絕對無法接受。9月28日,下了一道「內部決定」確立了黨大會的日程。許多消息來源指出,胡一反心念,將留任軍委會主席以持續影響力。就10年前胡錦濤就任總書記以來,摸索建立日中關係與遭受挫折,尖閣事件乃未曾有的惡化狀態。
今年,中共中央幾百人參加北戴河會議,其中只有包括政治局的元老等數十人得以參加最重要的「預備會議」,其中包括傳說重病的86歲江澤民。會議重點之一是如何處理薄熙來。江澤民等元老是薄熙來的後盾,要求「慎重處理」,總書記胡錦濤等當權也主張嚴厲處分。與江和薄關係密切的周永康等,支持胡。確立了剝奪黨籍與刑事處分的原則。
其次是政治局常委的人數。
2002年江澤民退下總書記時,把政治局常委的人數由7人增至9人,送入江派的「上海幫」。現在,胡則主張回復7人。會議約略會接受此安排。
7人之中,以胡的共青團戰優勢,包括內定升任總理的共青團第一書記與副總理李克強、內定副主席的現任黨中央組織部長李源潮。
胡透過薄熙來事件,收編與江關係密切的幹部。北戴河會議,胡錦濤大勝。
十八大的會議日程,是這30年來最遲的,沒有如毛或鄧等強人的指定接班人,必須進行集體領導與決定,可見其困難。
5年前的2007年10月22日,十七大開議後介紹新幹部時,9位政治局常委魚貫入列,習近平在一瞬間比李克強排名之前。習排行第6,李為第7。前5名在5年後將退休。暗示習近平將成為接班人。
李克強早早就被視為胡錦濤的接班人,而習近平只是浙江省委書記後上海市書記過水後即進入中央,確實是黑馬一匹。胡錦濤以僵硬的表情介紹習為「年輕同志」。
但這種逆轉戲碼,也是在當年夏天北戴河會議決定的。
黨內有人指出「李同志與反革命分子過從甚密。」李克強與1989年主導天安門事件而受判刑確定的王軍濤銅為北大的同學。王軍濤在1994年流亡美國,以民運人士身分發表批判中國共產黨的文章。2005年的文章提及大學時代與李克強談論民主化與政治體制等問題。成為黨內的問題。
江澤民等人推薦比李克強有更長期地方經驗的習近平,習的父親為副總理是「紅二代」,被認為「對黨高度忠誠」。江的意見獲得贊同。
朝日新聞調查,實際上李與王軍濤「已有20年以上未曾謀面。」王軍濤說,1992年中共派遣幹部到前蘇聯與東歐,調查共產黨體制崩解的原因。結論是:為了維持體制「必須重用對黨忠誠度高的『紅二代』等幹部。」。王軍濤說,此結論成為習近平被拔擢的藉口。
消息來源指出:「前蘇聯的崩解,黨非常懼怕如戈巴契夫等從體制內破壞一黨專政的領導者出現。此危機感,是超越派系存在的。」
此次胡錦濤等於重演5年前的戲碼。為了黨祚,讓習近平在微妙的權力平衡下出任層峰。江胡兩人,從此惺惺相惜嗎?
胡総書記、尖閣にらみ院政 軍トップは続投へ〈紅の党〉◎朝日新聞(2012.10.21)
http://digital.asahi.com/articles/TKY201210200618.html?ref=comkiji_txt_end_s_kjid_TKY201210200618
【北京=峯村健司】中国海軍のヘリコプターが海に投げ出された船員をワイヤで引き上げ、病院船に運び込むシーンを国営テレビが映し出した。
19日に東シナ海で実施された国家海洋局などとの合同演習。その狙いを、中国国防大教授で戦略立案に携わる李大光(大佐=51)は「日本への威嚇」と朝日新聞の取材に明言した。
李によると、参加艦船11隻のうち7隻が軍艦。航空機8機も戦闘機スホイ30などの軍用機だ。尖閣諸島の周辺海域で日中両国の艦船が衝突した場合、「海軍が必ず介入するとの決意」を示すものだという。
軍事衝突を視野に入れた対日強硬姿勢――。それは中国共産党総書記、国家主席、中央軍事委員会主席の三役を兼ねる中国のトップ、胡錦濤(フーチンタオ、69)の意を受けたものだと、複数の党関係者は指摘する。
「すべての役職から引退させてもらいたい」
胡の支持基盤である共産主義青年団の内情に詳しい党関係者によると、8月上旬に幹部や長老を集めた河北省北戴河での会議で、胡はこう語った。
総書記と国家主席は退くが、軍事委主席にはとどまる「半退(半分の引退)」ではなく、「全退(完全引退)」の表明だった。
軍を掌握する軍事委主席は、最高実力者として君臨した故トウ小平(トウは登におおざと)が長く務め、10年前の第16回党大会で総書記の座を胡に譲った前国家主席の江沢民(86)も、2年後にようやく胡に明け渡した権力の要だ。
完全引退の表明という最大の政治カードを切る。そうすることで、第18回党大会で国家副主席の習近平(シーチンピン、59)にトップを譲る際、自分に近い人物を一人でも多く最高指導部に送り込もうとしたとみられる。
しかし、隠然たる影響力を持つ江ら長老、軍、保守派、改革派が人事でせめぎ合った。これまで8月末に発表されていた5年に1度の党大会の日程は、9月に入っても決まらない。
この頃すでに、中国では尖閣諸島をめぐる反日感情に火がついていた。同月9日、胡はロシア・ウラジオストクでのアジア太平洋経済協力会議(APEC)の会場で、野田佳彦首相との立ち話に応じ、「日本による『島の購入』に断固反対する。誤った決定をすべきではない」と迫った。
だが、野田政権は翌10日に国有化を決めた。党の中枢にパイプを持つ元政治局常務委員の秘書は、これを聞いた胡が「絶対に許さないと憤った」と語る。
9月28日、党大会の日程を決めた政治局常務委員会が、もうひとつの「内部決定」を下した。複数の党関係者は、胡が軍事委主席に留任することが合わせて決まったと証言する。
尖閣情勢が緊迫化する中で軍のトップが代わることへの懸念が高まり、慰留を求める声が広がった。引退表明で腹心たちを昇格させようとした胡は一転、軍のトップにとどまることで影響力の保持を図った。
10年前、総書記に就いた胡は、新たな日中関係の構築を模索し、挫折した。皮肉にも対日関係の未曽有の悪化が、胡が軍の指揮権を掌握したまま院政を敷くことに道を開いた。
■カリスマ不在で人事紛糾
【峯村健司、林望】8月15日昼前、北京市を東西に貫く長安街を、武装警察に先導された数十台の車が天安門広場に向かって猛スピードで走り去った。
市政府関係者によると、河北省の海辺の避暑地、北戴河で同月13日まで開かれた「秘密会議」に出席していた中国共産党の高官らを乗せた車列だった。
会議出席者に接触できる複数の党関係者によると、今年、北戴河に集まったのは党中枢の高官数百人。断続的に開かれる一連の会議の中で、最も重要な「予備会議」に出席が許されるのは、政治局員に長老らを加えた数十人のみ。そこには重病説が流れていた江沢民・前国家主席(86)の姿もあった。
議題の一つは、腹心の米総領事館駆け込み事件などで失脚した重慶市党委員会前書記、薄熙来(ポーシーライ、63)の処分だった。薄の後ろ盾だった江ら保守派OBが「慎重な処理」を求めたにもかかわらず、総書記の胡錦濤ら現指導部は厳しい処分を主張した。最高指導部の政治局常務委員の中で、江や薄に近かった周永康(チョウヨンカン、69)らも胡に同調。党籍剥奪(はくだつ)と刑事処分の方針が固まった。
次の政治局常務委員のポスト数をどうするかも焦点だった。
江が総書記を引退した2002年の党大会で7人から9人に増やした。江が率いる「上海閥」を押し込むためだったと見られているが、胡は7人に戻すことを主張し、会議でほぼ了承された。
7人の顔ぶれも、この段階では、胡の出身母体、共産主義青年団(共青団)系の「団派」の勢力が優位に話を進めた。胡と同じく共青団の第1書記を務めた李克強(リーコーチアン)・副首相(57)の首相昇格が内定。李源潮・党中央組織部長(61)が国家副主席になることも固まった。
胡自らが完全引退という切り札を示したからだけではない。薄の事件の処理を通して、胡は元々は江と近い幹部を自らの勢力に取り込んでいたようだ。
「北戴河は胡の圧勝だった」。元党高官を親族に持つ党員は、したたかな胡の手腕に舌を巻いた。
それでも胡は、押し切れなかった。会議後、江に近い勢力は張徳江・重慶市党委書記(65)や劉雲山・党中央宣伝部長(65)らを次の政治局常務委員に入れようとした。
9月に入っても最高指導部7人のメンバーは確定せず、当初は10月中旬を予定していた党大会の開幕が延びた。党大会時に代表が泊まる予定だったホテルの予約も取り消しに。大会の日程発表も開幕日も、この30年間では最も遅い。
江も胡も、後見人のトウ小平に見いだされ、総書記に選ばれた。いま、中国に毛沢東やトウのように総書記を指名できるカリスマはいない。集団指導体制の下で行われる後継指導部の人選は、難航を極める。
■総書記レース、5年前の逆転劇
北京の人民大会堂に詰めかけた数百人の記者から、どよめきが起きた。
5年前の2007年10月22日。第17回党大会後に発足した新指導部のお披露目会見で、政治局常務委員9人が党の序列に従って舞台の袖から姿を現した際、習近平が、李克強より先に見えた瞬間のことだった。
序列は、習が6位で李が7位。5位より上の指導者は5年後の引退が予想され、習が次の最高指導者の最有力候補に躍り出たことを意味した。
胡は、習と李を「若い同志」と紹介した。その表情はこわばって見えた。胡の後押しを受けた李は、早くから胡の後継者と目されていたからだ。浙江省党委書記から上海市党委書記に転じてまもない習は、ダークホース的な存在だった。
この「逆転劇」も、同年の夏にあった北戴河会議で決まっていた。
「李同志は反体制分子と付き合いがある」。元党高官を親族に持つ党員によると、江ら保守派の長老らが李の「過去」を指弾した。問題視されたのは、1989年の天安門事件を主導して実刑判決を受けた王軍濤(54)との関係。2人は北京大の同窓生だった。
王は94年、米国に亡命し、民主活動家として中国共産党を批判する文章を発表した。2005年、大学時代に李と民主化や政治体制について語り合ったことを紹介。その記事が党内で問題になった。
江らは、李と比べて地方での経験が長く、実績が豊富だとして習を推した。元副首相の習仲勲を父に持つ「紅二代(革命第2世代)」であることを、「党への忠誠心が高い」とも評価した。出席者からは、江の意見になびく意見が相次いだという。
朝日新聞の取材に応じた王は、李との関係について「20年以上も会っていない」と語る。
共青団の幹部だった王によると、党指導部は92年、ひそかに旧ソ連や東欧に幹部を派遣し、共産党体制が崩壊した原因を調査。体制維持のためには「党への忠誠心が高い『紅二代』を幹部に登用する必要がある」と結論づけた。「習を抜擢(ばってき)するための口実に自分が使われた」と王は批判する。
元閣僚級幹部を父に持つ党員は「旧ソ連の崩壊で、党はゴルバチョフのように体制内から一党支配を覆すリーダーの出現を恐れるようになった。その危機感は、派閥を超えたものだ」と解説する。
5年前の無念を晴らすように、今回は胡が巻き返したとも言える。党の存続と延命という旗印の下、微妙な権力バランスの妥協の産物として最高指導者になる習。その船出は、胡と江という2人の総書記経験者の顔色もうかがいながらのものとなる。
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中国共産党の最高指導部が10年ぶりに交代する第18回党大会が、11月8日に始まる。「紅の党」第3部は、党員8千万人を抱える巨大政党の頂点に立つ指導者たちに迫る。=本文敬称略