更新於 2021/04/14閱讀時間約 1 分鐘

日本鹿兒島吐噶喇群島這樣地震,狂搖6天200次,這是正常能量釋放嗎

在免費圖庫中以okinawa搜尋到的圖片 真是海角一樂園
原來這裡島上有經常噴發的火山,但頭一兩天仍不清楚這次地震頻繁和火山活動的關聯性,專家認為這次地震是橫移斷層型(暫譯:横ずれ断層型)。 前幾天看到雅虎日本報導的這條新聞,日本九州鹿兒島的吐噶喇列島地震不斷,因為噶這漢字少用,所以日本一般是用片假名寫做トカラ(tokara)列島,我是覺得噶這漢字很難念,吐3聲噶2聲喇3聲三個字排在一起怎麼念怎麼怪。 吐噶喇在哪裡呢?在沖繩琉球群島和九州本島之間,請看中文維基百科的地圖,可以看到它和日本全境和中國大陸和台灣的相對位置,差不多在中國長江三角洲的遙遠正東方海上,
中央氣象局的雲圖有經緯線,可以看出大約在長江三角洲東方
有興趣的人還可以看日文維基百科,有詳盡的介紹,據說這裡戰後曾短暫數年由美國軍方控制,東海海流在此造成這裡自古就是不好航行的海域, 海裡有條水深1000公尺的吐噶喇海裂(海裂應該是專業名詞,gapabyssal gap),我不禁要想像水深1000公尺能容幾艘大國潛艦在此競逐, 原來這裡本來就常常地震,另外和中國的唐宋時代遣唐使或貿易來往要經過此處,雖然是個小地方,但從中日交流史來看也是個深具意義的地方
吐噶喇列島 - Wikipedia
天気予報区分では 奄美地方の一部である。漢字表記が難しいことや「噶」が JIS X 0208に収録されていないため、 トカラ列島と表記されることが多いほか、 吐喝喇列島 という代用表記もみられる。過去には、七島(しちとう)・川辺七島(かわなべしちとう)・宝七島(たからしちとう)とも呼ばれた。 明治期以前は、 上三島( 黒島、 硫黄島、 竹島など)と合わせて吐噶喇列島(下七島)は 薩摩国 川辺郡に属し十島(じっとう)と呼ばれていた。1897年にはそのまま 大隅国 大島郡に編入。1908年 島嶼町村制により 十島村(じっとうそん)となる。 第二次世界大戦後、下七島が アメリカ軍軍政下に入り、上三島は日本に残される。 1952年 2月4日に下七島が日本に返還、2月10日に十島村(としまむら)として発足した。返還まで十島村(じっとうそん)であった上三島は、同日付で村域を上三島、町名を三島村に変更し分立された。 東シナ海から流れて来る海流が下七島付近で大きくうねるため、海の難所・ 七島灘 として古くから知られていた。 悪石島と宝島の間に、「 渡瀬線」という 分布境界線が走っている。そこには水深1000mの「トカラギャップ」と呼ばれる海裂が横たわっており、これが「渡瀬線」を形成しているのではないかと推定されている。 ハブなど、九州本土と 沖縄県・ 奄美群島 との動植物の境界である。 列島内には、 同字異音 であるが「御岳」と名付けられた山が複数存在する。中之島の御岳(おんたけ: 979m)、臥蛇島の御岳(おたけ:497m)、諏訪之瀬島の御岳(おたけ:796m)、平島の御岳(おたけ:243m)、悪石島の御岳(みたけ:584m)の5山が該当する。これら全てが各島の最高峰であり、中之島の御岳は吐噶喇列島最高峰でもある。 吐噶喇列島は群発地震の震源地でもある。2016年12月には、最大震度4を観測する活動があった。 明治17年に鹿児島県勧業課に勤めていた 白野夏雲 によって「川辺郡七島問答」という報告書が書かれた。七島の地理沿革を記す。 画像 名称 面積(km2) 人口(人)(2004年)[6] 最高標高(m) 最高峰 座標 平瀬 [7]
這次不知海底究竟怎麼了,吐噶喇這幾天究竟怎樣地震呢,根據共同社的報導,自9日深夜到12日已經200次以上,
12日到13日也還有數十次,看雅虎日本網站的資訊如下,
至少可以看出日本真是個地震頻繁的國家。 台灣也在環太平洋地震帶上,還好沒日本那麼可怕,但也要特別注意,在方格子這裡用地震二字搜尋,沒想到居然有那麼多文章,記得前些年似乎聽到是慈濟讓人要敬畏天地,全世界這兩年飽受新冠肺炎摧殘,台灣從去年到今年乾旱持續擴大,真不知道天上眾神究竟要我們明白什麼。
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