更新於 2023/01/20閱讀時間約 3 分鐘

負けるが勝ち-準體法的用法

負けるが勝ち
負けるが勝ち
Q:為什麼以下句子中的動詞沒有加上「の」或「こと」就直接接「でもなく」?動詞不是要先「名詞化」後才能接「でもない」的嗎? 大学卒の有為の青年が、大事業のために奮闘するでもなく、恋愛をするでもなく、狭い部屋の中で、ただ「議論」している。 A:在現代日文當中,動詞的確是要加上有「名詞化」作用的「の」或者「こと」之後,才能接續格助詞、副助詞或斷定助動詞的。 譬如: 旅行するのは楽しい。旅行很快樂。 出張で日本に行くことがある。有時會因為出差去日本。 生きることは闘うことだ。生存就是戰鬥。 但是,隨著日文看得多了,後來我們又會發現,在某些句型中的動詞也不需要加上「の」或者「こと」,就可以直接當做「名詞節(=名詞子句)」來使用。這種用法在文法上,被稱為準體法、準體格或準體言。 就像問題中的句子,就是一種沒有加上「の」或「こと」的準體言的用法。 大学卒の有為の青年が、大事業のために「奮闘する」でもなく、「恋愛をする」でもなく、狭い部屋の中で、ただ議論している。大學畢業的有為青年,他並沒有為了大事業而奮鬥,也沒也去談場練愛,只是在狹小的房間中「 空談議論」而已。 其實,像這種動詞直接當成準體言的用法,在古文當中時而可見。 負けるが勝ち→認輸就是勝利。退一步海闊天空。 言うは易(やす)く、行うは難(かた)し。說易行難。 会うは別れの始め。相逢就是離別的開始。人生無不散的宴席。 過ぎたるはなお及ばざるがごとし。過猶不及。 過ちて能(よ)く改むる、善(ぜん)焉(これ)より大なるは莫(な)し。過而能改,善莫大焉。 人の一生は重荷を負ひて遠き道を行くが如し。人之一生有如負重荷行遠道。 因此,像這種動詞直接加助詞的用法,應該算是古語的殘留,在現代文中上級的句型當中也會看到這樣的用法。 譬如: がいい→覚悟するがいい。你覺悟吧。(這是屬於國王或大魔王之類在上位者的命令指示的用法,語氣狂妄自大。現代日文很少用,有時可在動漫中聽見。) がまま→言われるがままに、お金を出してしまった。我就按照他要求的那樣岀了錢。(這是表示完全服從的用法) がゆえ→この部署は専門性が高すぎるがゆえに、人員補充が難しい。這個單位因為專業性太高,因此很難補充人員。(這是表示原因理由的用法) には→留学するにはお金が必要だ。留學需要錢。(這是表示目的用法) につれて→年を取るにつれて、白髪が増えてきた。隨著年紀變大,白髮就越來越多。 に難くない→想像するに難くない。不難想像。 に堪えない→聞くに堪えない。聽不下去。 には及ばない→わざわざ来るには及ばない。不需要特地跑一趟。 には当たらない→驚くには当たらない。不需要特別驚訝。 にせよ→来るにせよ、来ないにせよ、連絡ぐらいはしてほしい。不管你來不來,我希望你至少給個連絡。 結論→當我們看到動詞直接加上助詞或斷定助動詞時,可以理解成一種古文用法的殘留,而這種用法通常會用在固定的句型當中,只要把該句型的接續記熟,久而久之就會見怪不怪了。
PS:圖檔取自「Pexels」網站
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