與那國島:你的ADIZ在我領空上
【Comment】
Note the dispute between Taiwan ADIZ and Japan ADIZ. It splits right on the island of Yonakuni of Okinawa Prefecture , Japan . The line was drawn by the US Far East Command after WWII and Japan succeeded it in the return of Okinawa . It restricts the defense capability of Japan . It works well for four decades. However, it shows the intolerable now under MYJ adopts China friendly policy since 2008.
領土與(12海浬)領海的正上方延伸,就是領空。領空,屬於國家所有。理論上,有外來航空器未經允許而通過者,領空所屬國有權將之擊落。而外來飛機經過ADIZ時要打聲招呼,否則理論上,當地戰鬥機得升空警戒,但不能將之擊落(因為不是領空)。至於,飛航情報區(FIR),是國際民航組織所劃設。FIR與ADIZ不同。
以下這篇是日文2009年的文章,提及台灣與日本的航空識別區(ADIZ)正在與那國島上方分界。合理與否?過去如何行得通?現在又為何不通(或有何種變化、憂慮)?日美有安保,此一自衛隊的移界申請,是否也是美軍需要?
若回憶前去年:日本防衛省計畫將一部分陸上自衛隊兵力遷移至最邊境的與那國島、美軍在沖繩普天間基地的阿帕契(Apache)攻擊型直升機攻擊部隊也計畫移至與那國島。美軍攻擊型直升機部隊移駐與那國島,在用地上已有著落,「比較上有具體的行動」。給自衛隊小鞋穿,是否也意在阻絕美軍?題目是我自己加的。
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與那國島:你的ADIZ劃到我的領空上 ●吹浦忠正 / 雲程譯
(2008年)晚報報導7月4日台灣與中國間開始直航。但,還有另外一個直航開始。那就是日本最西端與那國島機場與台灣花蓮機場美週往次往返的班機。由台灣的復興航空飛行,可乘坐70人。與那國島距離台灣111公里而已,與台灣交流密切,人口不足1700,是全日本第2小的町。與那國機場為舊日本軍在1943年所蓋,跑道800公尺。到了1968年,跑道舖設瀝青等,可以供YS-11航行。隨著1973年沖繩返還,被指定為第3種機場,但基於日本〈航空法〉,附近有糖廠的煙囪障礙,實際長度為1230公尺的跑道,但有效長度僅為800公尺,也不允許YS-11飛航。
1985年跑道延長為1500公尺。其後,強化跑道之後,為供噴射機降落,2007年延長為2000公尺。從而,10月4日期盼的飛往台北的包機初次開通。但是,與此被注目的是航空識別圈的問題。與那國島上空當然是日本的領空,但在島的東側1/3為界,東邊為日本,西邊為台灣的防空識別圈。這是戰敗後到1972年佔領時期美軍所設定的防空識別區。沖繩返還後就這樣承襲下來。
從而,與那國島上方西側的2/3變成「是日本的領空,卻不是日本的防空識別圈」的奇妙狀況。為此,降落於與那國機場的日本民間與自衛隊的飛機,事前必須要向台灣空軍提出飛行計劃。否則搞錯的話,會是不明飛行物而成為台灣空軍的攻擊目標。此外,為此原因自衛隊飛機無法項西側出入,島嶼西側僅能用目視警戒,多年來是防衛上的一大問題。我(作者)是東京財團研究推進承辦的常務理事,從2002年起和台灣進行「軍事交流」,前自衛隊幹部們與台灣方面相關人員進行數次的會議,好幾次將問題提出來研究。
從2年前起,有人證實台灣方面很有風度的將自己的防空識別區遠離與那國島。另一方面,除非有特殊情形自衛隊謹守傳統的防空識別線。民用航空機方面,預先提出航班表,雷達上也可以清楚判別,不致於有誤判的情形,算是相當安全的,實際上未產生大問題。不過,若出現如2008年6月因尖閣群島的事件,將問題尖銳化。萬一,台灣與中國合併等事情在何時以何種複雜的狀態發生,其涉及主權議題,非要嚴肅面對不可。
對於商業飛機已被證實的時間表提前,因為它顯然也看不見,除非它似乎更引人注目的是誤導視為安全的,其實,大麻煩,但這不是。然而,問題,如對尖閣群島 6月,發布削尖的問題,中國和台灣合併(統一),如果這種情況下,當事情變得太複雜,不僅任何形式這是涉及主權,無論是正式或非正式的,它應更充分地討論問題。
夕刊各紙に出ているように7月4日、台湾と中国との間に、直行便が飛んだ。 しかし、もうひとつの直行便も飛んだ。 日本の最西端の空港である与那国空港と台湾の花蓮空港間での2往復である。 台湾の復興航空が運航した。70人乗りだ。 与那国島は111キロしか離れていない台湾との交流に、存亡をかけている。人口1700人弱、全国で2番目に小さい町だ。 与那国空港は、1943(昭和18)年旧日本軍により滑走路800メートルで開設された。 ようやく1968年になって、滑走路乳剤舗装工事等が完成し、YS-11が就航するようになった。
1973年 沖縄の本土復帰に伴い、第三種空港として指定されたが、日本の航空法では近くにある製糖工場の煙突が支障となり、実際は1230mあった滑走路の長さは800mと判定され、YS-11の発着は認められなくなった。
滑走路が1,500メートルになったのは1985年のこと。その後、滑走路の強化によりジェット機も発着陸できるようになり、昨年3月、これが2,000メートルとなった。 そして、10月4日、念願の台北へのチャーター便が初めて飛んだ。 ところが、ここで大きく注目されるようになったのが、航空識別圏の問題。 与那国島の上空はもちろん日本の領空だが、島の東側1/3のところで、東は日本、西側の2/3は台湾の防空識別圏になっているのだ(地図参照)。 これは、敗戦から1972年までの占領時に米軍が勝手に設定していた防空識別圏を、返還後もそのまま継承したためである。 したがって、与那国島上空の西側2/3は、「日本の領空だが日本の防空識別圏ではない」という奇妙な状況になっている。 このため、与那国空港へ着陸する日本の民間や自衛隊の航空機は、事前にフライトプランを台湾空軍に提出しておかなくてはならない。さもなくば、まかり間違えば未確認飛行物体として台湾軍の攻撃対象になりかねない。 また、このため、自衛隊機は、与那国島上空より西側へ出ることはまずないが、島の西側を目視で哨戒することができないので、多年、防衛上、関係者には大きな問題とされてきた。 私は東京財団研究推進担当常務理事として、2002年から台湾との“軍事交流”、すなわち、元自衛隊幹部たちと台湾側の関係者が主体になって数回にわたりシンポジウムを開催、この問題を何度か取り上げた。
そうしたこともあって、2年ほど前から台湾側は、きわめて紳士的に自らの防空識別圏を与那国から遠ざけていることが確認された。 他方、日本の自衛隊も特段のことがない限り、従来の線を守っている模様だ。 民間航空機についてはあらかじめ時刻表が示されており、機影も判然としているため、よほど誤解するようなことがない限り、安全とみなしていいようだし、実際に、これまでも大きなトラブルはなかった。しかし、この6月のような尖閣列島をめぐるトラブルなどで、問題が先鋭化したり、万一、中台合併(統一)などという事態になれば、いつ、いかなる形で複雑な事態になるとも限らず、ことは主権に関わることであり、公式・非公式を問わず、もっときちんと話し合っておくべき問題であろう。
http://blog.canpan.info/fukiura/archive/4368
日本要台灣西撤ADIZ 勢必牽動雙邊關係●中時(2010.05.27)
媒體報導日本打算和台灣協商,要求台灣把「防空識別區」界線往西撤。由於日本的「與那國島」剛好就在防空識別區界線上,還曾傳出我空軍戰機緊急起飛,攔截日本防衛大臣行政專機的事件,顯示這個問題具有高度敏感性,勢必牽動台日雙邊關係。
我國和日本的「防空識別區」ADIZ,係以東經123度為界,如果有不明機進入防空識別區,地面的防空飛彈將進入「六分鐘警戒」,在空巡邏機組也將就近進行攔截,地面戰管單位同時也將以243.0兆赫的國際緊急通訊頻道,對不明機實施「大波道廣播」,要求不明機離開我防空識別區。
今年一月28號下午,俄羅斯一架TU-95長程偵察機,便曾經闖進防空識別區,當時雖然沒有在空機進行攔截,但防空飛彈提升警戒,戰管單位也進行大波道廣播,這架TU-95也隨即離開防空識別區,沒有進一步動作,被認定是「無害通過」。
不過,兩國防空識別區的界線,剛好通過日本的與那國島,距離花蓮只有約110公里,天氣好時甚至可以從花蓮目視與那國島,島上也可收看台灣的無線電視節目。去年七月間,日本防衛大臣「濱田靖一」從那霸搭機飛往與那國島視察,日本「讀賣新聞」報導我空軍曾起飛戰機攔截,日本自衛隊還因此派出兩架F-15戰機護航。這個消息雖然被我方否認,但是也突顯與那國島地點的敏感性。日本打算在與那國島建立監偵設施,又打算擴大防空識別區,勢必牽動台日雙方關係。
http://news.chinatimes.com/focus/0,5243,50105478x132010052701144,00.html