夏目漱石的《心》, 有好幾句,感覺會是在和當事人討論中出現的對話。
老師:「みんな善い人ですか」
少年:「別に悪い人間というほどのものもいないようです。大抵田舎者ですから」
老師:「田舎者はなぜ悪くないんですか」
老師:「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中に、これといって、悪い人間はいないようだといいましたね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型に入れたような悪人は世の中にあるはずがありませんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油断ができないんです」
老師:「大家都是好人嗎?」
少年:「倒也沒有什麼特別壞的人啦。大多是些鄉下人罷了。」
老師:「鄉下人為什麼就不壞呢?」
老師:「鄉下人比起都市人來,反而還更壞一些呢。而且,你剛剛說,你的親戚之中,似乎也沒有什麼特別壞的人。可你真的認為,世上存在著那種名為『壞人』的特定類型嗎?像是從模子裡印出來似的壞人,世上根本不存在啊。平時大家其實都是好人,至少都是普通人。可怕的就在於,一旦到了關鍵時刻,他們會忽然變成壞人。這才讓人防不勝防啊。」
這段話,幾乎可以原封不動地,套進事務所的對話裡:
律師:「你怎麼確定你的家人跟朋友一定可以相信?會按照你的意思走?」
當事人:「律師,你放心啦,我家人跟朋友和我很緊密,絕對不會有問題的。」
律師:「我相信你和你家人朋友『現在』是很緊密,但是,人都是會變的,建議還是先把規則寫好比較保險。」
人性最大的悲哀,不是原本就壞,而是變壞時來得太突然。
果真是探究人性,揭開人性最醜陋面的代表作。看個三分之一,幾近被那莫名陰暗與窒息的描述壓到喘不過氣。
夏目漱石的《心》, 有好幾句,感覺會是在和當事人討論中出現的對話。
老師:「みんな善い人ですか」
少年:「別に悪い人間というほどのものもいないようです。大抵田舎者ですから」
老師:「田舎者はなぜ悪くないんですか」
老師:「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中に、これといって、悪い人間はいないようだといいましたね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型に入れたような悪人は世の中にあるはずがありませんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油断ができないんです」
老師:「大家都是好人嗎?」
少年:「倒也沒有什麼特別壞的人啦。大多是些鄉下人罷了。」
老師:「鄉下人為什麼就不壞呢?」
老師:「鄉下人比起都市人來,反而還更壞一些呢。而且,你剛剛說,你的親戚之中,似乎也沒有什麼特別壞的人。可你真的認為,世上存在著那種名為『壞人』的特定類型嗎?像是從模子裡印出來似的壞人,世上根本不存在啊。平時大家其實都是好人,至少都是普通人。可怕的就在於,一旦到了關鍵時刻,他們會忽然變成壞人。這才讓人防不勝防啊。」
這段話,幾乎可以原封不動地,套進事務所的對話裡:
律師:「你怎麼確定你的家人跟朋友一定可以相信?會按照你的意思走?」
當事人:「律師,你放心啦,我家人跟朋友和我很緊密,絕對不會有問題的。」
律師:「我相信你和你家人朋友『現在』是很緊密,但是,人都是會變的,建議還是先把規則寫好比較保險。」
人性最大的悲哀,不是原本就壞,而是變壞時來得太突然。
果真是探究人性,揭開人性最醜陋面的代表作。看個三分之一,幾近被那莫名陰暗與窒息的描述壓到喘不過氣。