------------閱讀文章前,先來背個單字吧------------- なする v. 擦、塗抹;震旦 n. 中國的古稱;心苦しいこころぐるしい a. 過意不去;説伏ときふせる v. 說服、勸服;じかに adv. 直接地;むず痒がゆい a. 癢癢的(特別是皮膚被刺激時的那種搔癢感)
内供がこう云う消極的な苦心をしながらも、一方ではまた、積極的に鼻の短くなる方法を試みた事は、わざわざここに云うまでもない。内供はこの方面でもほとんど出来るだけの事をした。烏瓜からすうりを煎せんじて飲んで見た事もある。鼠の尿いばりを鼻へなすって見た事もある。しかし何をどうしても、鼻は依然として、五六寸の長さをぶらりと唇の上にぶら下げているではないか。
所がある年の秋、内供の用を兼ねて、京へ上った弟子でしの僧が、知己しるべの医者から長い鼻を短くする法を教わって来た。その医者と云うのは、もと震旦しんたんから渡って来た男で、当時は長楽寺ちょうらくじの供僧ぐそうになっていたのである。
内供は、いつものように、鼻などは気にかけないと云う風をして、わざとその法もすぐにやって見ようとは云わずにいた。そうして一方では、気軽な口調で、食事の度毎に、弟子の手数をかけるのが、心苦しいと云うような事を云った。内心では勿論弟子の僧が、自分を説伏ときふせて、この法を試みさせるのを待っていたのである。弟子の僧にも、内供のこの策略がわからない筈はない。しかしそれに対する反感よりは、内供のそう云う策略をとる心もちの方が、より強くこの弟子の僧の同情を動かしたのであろう。弟子の僧は、内供の予期通り、口を極めて、この法を試みる事を勧め出した。そうして、内供自身もまた、その予期通り、結局この熱心な勧告に聴従ちょうじゅうする事になった。その法と云うのは、ただ、湯で鼻を茹ゆでて、その鼻を人に踏ませると云う、極めて簡単なものであった。
湯は寺の湯屋で、毎日沸かしている。そこで弟子の僧は、指も入れられないような熱い湯を、すぐに提ひさげに入れて、湯屋から汲んで来た。しかしじかにこの提へ鼻を入れるとなると、湯気に吹かれて顔を火傷やけどする惧おそれがある。そこで折敷おしきへ穴をあけて、それを提の蓋ふたにして、その穴から鼻を湯の中へ入れる事にした。鼻だけはこの熱い湯の中へ浸ひたしても、少しも熱くないのである。しばらくすると弟子の僧が云った。
――もう茹ゆだった時分でござろう。
内供は苦笑した。これだけ聞いたのでは、誰も鼻の話とは気がつかないだろうと思ったからである。鼻は熱湯に蒸むされて、蚤のみの食ったようにむず痒がゆい。
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- 弟子使用了什麼具體方法來幫助內供進行治療?
- 你認為內供為何不願意直接承認自己想縮短鼻子?若是你,會選擇坦白嗎?
-----------------中文翻譯-----------------
內供雖然表面上消極煩惱,但其實也積極嘗試讓鼻子變短的方法,這一點不言自明。他在這方面幾乎已經做了能做的一切。比如曾經煎煮烏瓜來喝,也試過把老鼠的尿塗在鼻子上。然而不管怎麼做,他的鼻子依然懸掛在上唇上方五六寸處,毫無變化。
某年秋天,一位兼辦公務而前往京都的弟子從熟識的醫生那裡,得知了一種能讓長鼻子變短的方法。這位醫生原本是從震旦渡來的,當時已是長樂寺的一名隨侍僧人。內供表面上仍裝作對鼻子毫不在意的樣子,故意沒有立刻實行這個方法。另一方面,他又以輕鬆口吻表示每次吃飯都得麻煩弟子幫忙抬起鼻子,實在於心不安。實際上,他正等待弟子說服他嘗試這種療法。弟子自然也看穿了這番心思,但比起反感,更多的是對內供這種「假裝不在意」的可憐心情產生了同情。最終如內供所料,弟子再三勸說,內供也「順理成章」地接受了建議。
所謂的療法,其實極為簡單——只要用熱水燙煮鼻子,然後讓別人踩踏即可。
寺裡的湯屋每天都在燒水,弟子便將燙得連手指都無法伸進的熱水,盛入提桶中帶回來。可是若直接將鼻子插進提桶裡,恐怕臉會被蒸氣燙傷。於是他們在一塊木盤上鑽個洞,蓋在提桶上,再從洞裡把鼻子伸進熱水裡。奇怪的是,即便鼻子泡在滾水中,也完全感覺不到燙。過了一會兒,弟子說:
——現在差不多煮好了吧。
內供苦笑了一下。他想,就算聽到這句話,旁人也不會想到他們其實在處理鼻子的事。此時鼻子被蒸氣燻得癢癢的,就像被跳蚤咬了一樣難受。
※ 本文所引用的《鼻》原文已屬公有領域,中文翻譯與語感分析為作者自行編譯與撰寫,歡迎引用但請註明出處,也歡迎叮嚀指教喔!
----------続きは、次回の投稿にて。お楽しみに。----------