------------閱讀文章前,先來背個單字吧-------------一池の尾お 池之尾(地名)、腸詰ちょうづめ n. 香腸等把肉等食材塞進腸衣裡的食物、ぶらりと adv. 隨意地垂掛或晃動的樣子、ぶら下がる v. 懸掛、さほど adv. 常與否定搭配,表示「其實沒那麼……」、渇仰かつぎょう v. 懇切盼望(為佛教用語,日常對話幾乎不會使用)
禅智内供ぜんちないぐの鼻と云えば、池いけの尾おで知らない者はない。長さは五六寸あって上唇うわくちびるの上から顋あごの下まで下っている。形は元も先も同じように太い。云わば細長い腸詰ちょうづめのような物が、ぶらりと顔のまん中からぶら下っているのである。
五十歳を越えた内供は、沙弥しゃみの昔から、内道場供奉ないどうじょうぐぶの職に陞のぼった今日こんにちまで、内心では始終この鼻を苦に病んで来た。勿論もちろん表面では、今でもさほど気にならないような顔をしてすましている。これは専念に当来とうらいの浄土じょうどを渇仰かつぎょうすべき僧侶そうりょの身で、鼻の心配をするのが悪いと思ったからばかりではない。それよりむしろ、自分で鼻を気にしていると云う事を、人に知られるのが嫌だったからである。内供は日常の談話の中に、鼻と云う語が出て来るのを何よりも惧おそれていた。
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- 禪智內供害怕在日常對話中聽到「鼻」這個字。你覺得這反映了他怎樣的性格特質?
-----------------中文翻譯-----------------說到禪智內供的鼻子,在池之尾這地方,沒有不知道的人。那鼻子長約五、六寸,從上唇一路垂到下巴底下。形狀從根部到尖端都一樣粗,看起來就像一條細長的香腸,晃晃悠悠地從臉的正中央垂掛下來。
超過五十歲的禪智內供,從年輕時當沙彌開始,到如今升上內道場供奉的地位為止,內心始終為這個鼻子所苦。當然,他表面總裝出一副毫不在意的樣子。這並不全是因為他身為應當一心嚮往來生淨土的僧人,認為為鼻子煩惱是不對的;更重要的是,他討厭讓人知道自己在意這件事。內供最害怕的,就是在日常談話中,聽到「鼻子」這個詞出現。
※ 本文所引用的《鼻》原文已屬公有領域,中文翻譯與語感分析為作者自行編譯與撰寫,歡迎引用但請註明出處,也歡迎叮嚀指教喔!
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