カトリック教会では、イエス・キリストの受難に関わるものや聖母マリア、諸聖人の遺品などは聖遺物と見なされ、昔から崇敬の対象となっていた。
聖遺物の中でも有名なものはキリストの遺体を包んだとされる「聖骸布」だろう。聖骸布は現在イタリア・トリノの聖ヨハネ大聖堂に保管されており、縦4.41メートル、横1.13メートルの亜麻布だ。布の上にうっすらと身長180センチ程度の男性の全身像がネガで転写されており、頭を中心に二つ折りにして遺体を包んだようだ。キリストが処刑を受けたときの傷と同じ箇所に、血痕も残されているという。
聖骸布が記録に登場するのは1353年。フランスのシャルニー家が所有しているところを発見されている。その後1453年にサヴォイ家の所有となり、1578年にトリノで保管されることになった。興味深いのは、発見時から聖骸布について真贋の議論がなされていたという点だ。当初から多くの人々が聖遺物と見なしていたわけではなく、偽物説や「布に描かれたもの」という意見が出てきていたのだ。
その後、1988年にアリゾナ大学、オックスフォード大学、スイス工科大学の3大学合同で聖骸布の研究が行われた。放射性炭素年代測定法で検査したところ、聖骸布は1260年から1390年の間に作られたものである可能性が浮上。しかし、当時の技術を使用してどのように聖骸布を作成したのか、その方法は不明のままだった。
逆に聖骸布の全身像に特有の濃淡があること、筆のタッチなどが残されていないことなど、複数の点から「やはり本物なのではないか」という説も出てきていた。なお、2009年にはパヴィア大学の有機化学の教授であるGarlaschelli氏が酸を含む顔料などを使用し、当時の技術の範囲内でこの聖骸布を再現することに成功しているため、不可能ではないようだ。
聖骸布はどうして作られたのか。これに対して興味深い説を唱えているのは人類学者であり歴史家であるデビッド・アドキンス氏だ。彼は聖骸布に魚のDNAや様々な種類の植物の花粉や種子、石膏の痕跡が検出されていたことから、「ある教会や修道院で使われていたテーブルクロスだったのではないか」と推測。発見された年代から、1350年に大規模な改修工事が行われたイングランド・スタッフォードシャーにあるバートン・アポン・トレントのバートン大修道院で使われていたのではないかとしている。
バートンはテンプル騎士団が十字軍の活動を終えた後に逃れてきた場所と考えられており、彼らとともに様々な財宝も持ち込まれたとされている。バートン大修道院に持ち込まれた様々な像や肖像画をテーブルクロスで包んで地下室に保管していたところ、像の石膏が地下室の中で化学物質と反応、ネガ状態で転写されたのではないかというのだ。
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アドキンス氏はこう述べている。
「修道士が布に染み込んだ像の姿がイエス・キリストの姿に似ていることに気づき、これをキリストの聖骸布とすることを思いついたのであろう。当時、バートンにあるテンプル騎士団の財宝のうわさが絶えなかったので、人々はこの布がテンプル騎士団の財宝から出たものであり、どこから見ても本物であることを認めたのだろうと推測できる」
「キリストの聖遺物は14世紀には既に非常に高い値段で取引されていた。この布も14世紀のものとしては異例の高値で取引されたはずだ。頭の切れる修道士たちはひともうけするチャンスだと考え、最高額の入札者にこの布を売ることにしたのだろう」。
一方で、像のポーズが非常に大人しいものである点に違和感があるなどと指摘されている。
果たして、聖骸布は作りものなのか、それとも本物なのか。カトリック教会は聖骸布の真贋について「信仰の問題である」と語っている。
山口敏太郎
作家、ライター。著書に「日本怪忌行」「モンスター・幻獣大百科」、テレビ出演「怪談グランプリ」「ビートたけしの超常現象Xファイル」「緊急検証シリーズ」など。