第37帖
世が変りたら天地光り人も光り草も光り、石も物ごころに歌ふぞ。
世道變了之後,天地、人、草發出生命的光輝,石頭也有分別善惡之心地謳歌。
雨もほしい時に降り、風もほしい時に吹くと雨の神、風の神 申して居られるぞ。
雨在人想要的時候下,風在人想要的時候吹,雨神與風神是這麼說的喔。
今の世では雨風を臣民がワヤにしているぞ。
於現今之世,雨風為臣民所糟蹋喔。
降っても降れず、吹いても吹かん様になりてゐるのが分らんか。
下了卻也好像沒下,吹了卻也好像沒吹,變成這樣了,還不知道嗎?
盲つんぼの世の中ぞ。
盲聾的世間喔。(人們就像盲、聾,無法對正確的「知」做出判斷。)
神のゐる場所塞いで居りて お蔭ないと不足申すが、分らんと申しても余りであるぞ。
將有神的地方,關起來。(關注心中的成見,不願向超越界,超越生命的價值)。
當沒有庇蔭,就說別人不夠照顧他,說是不明瞭「道」,也還太便宜他了。
神ばかりでもならず、臣民ばかりではなおならず、臣民は神の入れものと申してあろが、あめのひつくの民と申すのは、世界治めるみたまの入れもののことぞ。
不能僅有思考、精神、靈魂,也不能僅有臣民、肉身,臣民、肉身為神的容器,被稱為日之津久的民的是(真正的體道之人,有點類似莊子中的至人),有著能夠治世靈魂的容器喔。
民草とは一人をまもる入れものぞ。
蒼生人民是,保護一個人的容器喔。
ひつくの臣民は神がとことん試しに試すのざから、可哀そうなれど我慢して呉れよ。
津久的臣民(尚未體道,修行者),精神靈魂徹底地接受試煉,很可憐,但是要忍耐喔。
その代り御用つとめて呉れたら、末代名を残して、神からお礼申すぞ。
這樣的修行者,如果從事著推動世界工作的話,會名留青史,神會跟你道謝喔。
何事も神は帳面につけとめてゐるのざから間違ひないぞ。
這邊我覺得缺了一個字,應該是まとめている會比較正常一點。
萬事皆記載、整理於神的帳面上,不會出錯的喔。
この世ばかりでないぞ。
不僅僅在這個世界要鍛鍊、修習喔。
生れ代り死に代り鍛へてゐるのぞ。
生生世世都要持續鍛鍊喔。
ひつくの臣民 落ちぶれてゐると申してあろがな、今に上、下になるぞ。
津久的臣民,可能覺得他們掉到谷底吧,但是在上位者也會掉到谷底喔。
逆立ちがおん返りて、元のよき楽の姿になるのが近づいたぞ。
倒過來,會將此恩還給你,回到原本好、輕靈、快樂的姿態近了。
逆立ち苦しかろがな、改心した者から楽にしてやるぞ。
倒過來會很苦吧,從改過自心的人開始,會讓你輕鬆一點喔。
御用に使ふぞ。
用在推動世界的工作上喔。