2022-06-02|閱讀時間 ‧ 約 3 分鐘

カップルさん

あたしの隣にカップルがいます、喫茶店の隅でずっとイチャイチャしてて、抱き合いだりキッスしたり、見ないようと決まったのにより視線範囲に入り込んできます。実に迷惑だ。決してリア充とか幸せそうな人たちが嫌いわけではありません、ただ自分に興味ないことがずっと目の前にいて集中できない状況に対してむかつくと感じるだけです。こうなると、自分でも悪いとこがあると気がします。集中力を保つことができなくて、言い訳ばっかりに誰かにその罪を押し込んて、かなり汚いやり方だな。そう考えると、カップルさんたちに急に申し訳ないと思いました。
でも誰でもこういう経験があると思います。小さい頃で鬼ごっこするとき、いつも兄さんや従姉妹たちにいじめられたり、嫌な事させたりすることがありますだが、母はいつも兄さんと姉さんたちを叱るではなくて、あたしに「なんで彼らの気に乗るか?」と問いて来る。被害者なのに検討されて、正直納得できませんでした。母によると、他人のことは自分がどんなに努力しても変えられないからそこで無駄に怒ったり、泣いたりするより自分が早く切り替えたり、それとも最初から全部無視して、嫌なこと自体が無かったにする方が効率的だと、母はこう考えています。その思考法に従って、隣にいるカップルのことを気にしたり嫌な感じを出たりすることは銅像に道を問いみたいな無駄なこと。確かに、気になってから随分時間と力をかかって自分の中で弁証しました。
でも、事実からみると彼らの存在があたしの仕事を邪魔しましたので、やはりそんな大きな動きで周りの人に迷惑をかけることがよくないと思います。人は自由で愛し合って、言葉やスキンシップで愛情を表現する権利があります。でもそれは他人に迷惑をかけない前提で話すこと、あたしはそう思います。自分の考えによると、その「他人のことに迷惑をかけない」状況を保つためにマナーが生まれる。つまりマナーというものは、世界が最善な状態にさせる思いの塊だと、あたしは改めて気づきました。
周りの人をちょっと観察してみると、あのカップルさんたちに影響されてイラつきそうな人がいないそうだ。イラっとするけど表情に出さない状況もあるけど、自分だけむかついてる可能性は高いと考えています。多分幸せそうな人たちが嫌いじゃなく、幸せになれるかと焦っている自分がより不安になってきたんでしょうか。うん、くだらない話だ、もう止めよう。
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