玉蘭花 呂赫若

更新於 發佈於 閱讀時間約 6 分鐘
日文改編作者 白佳宜
私は小さい頃、家族で撮った写真を、今でもいくつか持っている。色褪(あ)せて茶色になり、中にはまた少年時代の頃、家族との生活を思い出せる事ができます。
今でも母が、「写真を撮ると痩せるよ」と言った記憶がある。自分と家族は、どれ程写真を撮る事が嫌いかと言える。
大正九年頃の私の家に、叔父が新時代の文化を吸い込んでいた上、留学先の東京から、鈴木善兵衛という食客を連れ帰った内地人ということで、保守的な私の家族と交流して、新しい影響を連れてきた。
確か風の強かった朝だったと思う。壁の上についた小さな木窓の向こうから、竹藪(竹やぶ)の軋る音や鴛(とんび)の鳴き声などを、夢の中で聞きながら、私も尚も一人で寝ていた。
そこへお兄さんがいきなり入って来た、「おい、起きろ。日本人が来たぞ、見に行こう。」と言いながら私の肩を揺さぶった。
出てゆくと、従兄弟も庭に集まって、「
どこだ、どこだ!」と騒いでいた。
庭には龍眼や石榴(ざくろ)、荔枝(ライチ)、扶桑花(ハイビスカス)などの植え込んでいた間に、竹やぶがあった。それに、まだ一本の大きな玉蘭花があった。
その玉蘭花の下で、鈴木善兵衛が私達を見ながら、笑顔で立っていた。
彼も自分が変に見つめられているのを気づき、そこで自分が恐ろしい人でないことを示すために、暖かい眼差しを向けて、笑顔を浮かべたらしい。
しかし、私達は、一定の距離を保って立ち止まり、いつでも逃げる姿勢で構えた。
鈴木善兵衛はやがて、肩にかけていた黒いものを取って、私たちの方に向けた。差し向けられた私達は恐ろしくなって、蛛の子を散らすように逃げ出した。
それから、鈴木善兵衛は一年ばかりの間、私の家にいたが、私は、初めの間はなかなか彼に馴染まなかった。
「馬鹿だね、この子は顔見知りをしないのだね」と、母は笑いながら私に言い聞かせるのだった。
しかし私は、母は自分を騙していたのだと思った。日本人は怖いよ、とよく言い聞かせてくれたのは、外ならぬ母自身だった。母の言葉に矛盾を感じ、どれを信じたらいいのかと迷った。
もう日の暮れる頃であった。兄は鈴木善兵衛を探しに出かけた。すぐに戻ってきて、「いた、いた!早く来いよ!」と私の手を引っ張って駆け出した。「いやだ、いやだ」私は怖かったので、泣きそうになって拒んだ。
夕暮れに包まれた庭が窓越しに眼前にあった。見ているうちに、兄は玉蘭花の幹に登り、そこから鈴木善兵衛の肩に乗った。そして二人で歌を歌いながら歩き廻っているのではないか。私は思わず一人で笑ってしまった。
一旦鈴木善兵衛に馴染むと、私は日が暮れるのも忘れて、彼にしがみついて、離れなかった。彼は魚釣りが好きだった。昼間、家族に渡された、使っていいよ、と言われた客間で、鈴木善兵衛は護龍(こうりゅう)の一番末端の稻殻(いながら)部屋から、いつも写真機をかけて、よく魚釣りに出かけた。ある日、私はとうとう彼と一緒に行き、そして西側の川ベリに沿って歩いた。そこに、相思木(しょうしき)や竹が茂っていた、根元の茂みに赤や金色の野花が咲き、蝶が飛んでいた。周囲の物静かな寂しいしじまが私の心を包み、私はじっとしたまま、砂糖黍(さとうきび)の葉先を渡る風の音やサッと落ちる水の音に耳を澄ませた。
鈴木善兵衛は川面を睨んだまま振り返りもせずに、「虎坊、疲れたかい」とでも言ったらしい。言葉がわからないので、黙っていると、彼は振り返ってニヤッと笑ったのだ。彼と一緒にいるという安心感だけで、私も笑って、「キ、魚あるの」
と尋ねたが、言葉が通じないので、「うん、うん」と頷いて見せた。私は草の上に仰向けに寝て、青い空を見上げた。
彼は田舎に居てまもなく、熱病が出て、悪化していったらしい。私は稻殻部屋の入り口に立ったまま、「キ、キ。キ、キ」と小さな声を出して、密かに読んでみた。それが彼に聞こえるのだろう、頭をかすかに動かして、湿った目で、私の姿を捉えると、唇が動いたかと思われる程度の笑いを浮かべた。
若祖母が私を呼びつけて、鈴木さんの魚釣場を案内しなさい。」自分が役に立つのは、嬉しくてたまらず、それにそれが鈴木善兵衛に関することである。私は得意になって、頭を左右に大きく振りながら、若祖母の先頭に立った。若祖母は纏足(てんそく)だったので、すぐに遅れてしまい、脇にまた鈴木善兵衛の洋服の上衣を抱え、手に線香と金紙を持っていた。若祖母は紙銭(かみぜ)を焚いたと、線香を持って上衣を炎の上にグルグルと輪を描いて振った。そして私を呼び寄せて、「家に着くまで、話をしてはいけないよ」右手でしっかりと上衣を抱えて歩きながら、「鈴木さん、帰ってきなさい」と言い続けるのだ。水神に捕まれた鈴木善兵衛の魂を招いていた。私も小さな声で、「キ、帰ろよ」と若祖母の口真似をした。
鈴木善兵衛と遊ぶ事は、とうとう永久に出来なくなり、病気をするまでの間の遊びが最後となった。「もう知ったか?鈴木さんが遠い東京ヘ帰るんだよ」悲しそうな格好で突っ立っていた私に若祖母が言った。
いよいよ鈴木善兵衛をその午後に見送った。これで鈴木善兵衛を失うのだと思うと、悲しさが自然にこみ上げ、目が熱くなって涙が出そうになった。「さよなら」という鈴木善兵衛の声が聞こえたので、顔を上げると、彼は笑いながら手を振っていた。兄達も「さよなら」と叫んだ。しかし、私は言わなかった。妙に腹立たしい気持ちで、私は視線を外らした。
兄達は叫びながら、猿のようにすらすらと玉蘭花の幹に登って行った。私は玉蘭花の葉を見上げたが、どこにも白い花がなかった。さっき別れたばかりなのに、ふと鈴木善兵衛の顔付きを忘れてしまったような気がした。私も急いで玉蘭花の木に登った。やっと掴まったまま畑を見渡したが、どこにも鈴木善兵衛や父達の姿が見えなかった。「見えないよ、兄さんの嘘つき」私が腹が立てて上を向いて怒鳴った。「バカ、もっと高いところに登って来い」「やあ、鈴木さんが後ろを振り返ったぞ、さよなら」兄達の声を聞くと、「見せて、見せて」と私は幹を抱えて、漸く泣き出した。

即將進入廣告,捲動後可繼續閱讀
為什麼會看到廣告
avatar-img
8會員
246內容數
佳句擷取自小說&日常文字 日文&中文
留言0
查看全部
avatar-img
發表第一個留言支持創作者!
你可能也想看
Google News 追蹤
Thumbnail
隨著理財資訊的普及,越來越多台灣人不再將資產侷限於台股,而是將視野拓展到國際市場。特別是美國市場,其豐富的理財選擇,讓不少人開始思考將資金配置於海外市場的可能性。 然而,要參與美國市場並不只是盲目跟隨標的這麼簡單,而是需要策略和方式,尤其對新手而言,除了選股以外還會遇到語言、開戶流程、Ap
Thumbnail
嘿,大家新年快樂~ 新年大家都在做什麼呢? 跨年夜的我趕工製作某個外包設計案,在工作告一段落時趕上倒數。 然後和兩個小孩過了一個忙亂的元旦。在深夜時刻,看到朋友傳來的解籤網站,興致勃勃熬夜體驗了一下,覺得非常好玩,或許有人玩過了,但還是想寫上來分享紀錄一下~
Thumbnail
當我接受日常生活總要伴隨著許多不如意這個事實以後,我就心不甘情不願地變成了大人,但日子的確也好過多了。」她意識到死亡無所不在,在人生山窮水盡的時刻,才能體會深深鏤刻心底的美。即使深愛的人一個個離我們而去,還是要好好地活下去。
“翔,你有女朋友了嗎?” 看著自己的老父親,仙石下意識的在第一時間選擇了說謊 “欸?沒有啊!怎麼了?父親” “你看!那你就不要插手我們仙石家的方針!” “欸?明明是你的思想太陳舊了,現在根本就沒人這樣” 之後仙石武的注意力都在京介身上了,而路西法則是默默地看著
Thumbnail
廣場的這棵大樹, 從青翠走向枯黃, 再由凋零回歸茂盛, 就這麼輪迴著, 我總會想起白先勇的 樹猶如此,人何以堪。
Thumbnail
日本長野有一對夫婦民宿主人是我日本婆婆的朋友。他們從年輕時就認識到現在。 民宿主人誠臣桑高大挺拔有活力。他年輕時是一位銀行家,在49歲的那一年為了實現他的民宿夢毅然決然的辭掉工作,用他的畢生積蓄在長野找了一塊地開始建造他理想中的小木屋。 我們第一次造訪小木屋的時候,誠臣桑已經將近60歲。
顏回君找到我,我們又在大樹下,他對我說道:在你的小說裡,俊郎(辣仔良)和你是青梅竹馬?我回答說:是的,海燕和俊郎都是富家子弟,一個敗家,一個惜家。顏回說道:但我確搶了俊郎的女人,你看這一段;心中有何願望?看到有人雨中救蟻,心中感動了。心裡的知善說:救蟻之人已化解了他生命中的無常,他的知善已救了他一命
Thumbnail
鷲岩真紀子中學時的夢想是成為職業棋士,然後搬出老家。 倒不是和家裡人關係不好,她的父母是樂天派,生來是不太會跟人起爭執的溫和性格,也不強求孩子非要出人頭地,一家人有種船到橋頭自然直的耿直,而比她年長三歲的兄長,陽太,更是這種耿直的人形化身。 直白地說,陽太是個不太走運的人。
Thumbnail
琅琅讀書聲中,春生逐光而去,漸去漸遠,臨了,回眸一笑。
Thumbnail
他是一個南部鄉間來台北讀書的同學,父母早年離異,留下了他與弟弟給爸爸與年邁的奶奶。我初見他的時候,只感覺他很不羈,卻又不像平常的小混混,流露出某種聰明又單純的味道。
Thumbnail
作者李雅容,也就是李應鏜的女兒,在自序裡提及自己兒時在家中從旁觀察的時刻,那些來訪的客人和父親、母親的交談,總是用著一口道地的臺語,對許多人而言,生活於1930-1950年代的臺灣地方仕紳,總好像蒙上一層神秘的面紗,而對於她而言,卻是一段真實的童年。
Thumbnail
數日後,揚州市集暗巷裡的某間書攤前,老闆正在大聲招呼著。 「大作家青山一發推出最新小冊子啦!『土火雙行』裡的同袍兄弟之愛絕對讓妳心動、感動更激動!前五十名還有親筆簽名,快快快!」 瞬間,整條巷子擠滿了興奮而驚呼不已的少女少婦們。
Thumbnail
隨著理財資訊的普及,越來越多台灣人不再將資產侷限於台股,而是將視野拓展到國際市場。特別是美國市場,其豐富的理財選擇,讓不少人開始思考將資金配置於海外市場的可能性。 然而,要參與美國市場並不只是盲目跟隨標的這麼簡單,而是需要策略和方式,尤其對新手而言,除了選股以外還會遇到語言、開戶流程、Ap
Thumbnail
嘿,大家新年快樂~ 新年大家都在做什麼呢? 跨年夜的我趕工製作某個外包設計案,在工作告一段落時趕上倒數。 然後和兩個小孩過了一個忙亂的元旦。在深夜時刻,看到朋友傳來的解籤網站,興致勃勃熬夜體驗了一下,覺得非常好玩,或許有人玩過了,但還是想寫上來分享紀錄一下~
Thumbnail
當我接受日常生活總要伴隨著許多不如意這個事實以後,我就心不甘情不願地變成了大人,但日子的確也好過多了。」她意識到死亡無所不在,在人生山窮水盡的時刻,才能體會深深鏤刻心底的美。即使深愛的人一個個離我們而去,還是要好好地活下去。
“翔,你有女朋友了嗎?” 看著自己的老父親,仙石下意識的在第一時間選擇了說謊 “欸?沒有啊!怎麼了?父親” “你看!那你就不要插手我們仙石家的方針!” “欸?明明是你的思想太陳舊了,現在根本就沒人這樣” 之後仙石武的注意力都在京介身上了,而路西法則是默默地看著
Thumbnail
廣場的這棵大樹, 從青翠走向枯黃, 再由凋零回歸茂盛, 就這麼輪迴著, 我總會想起白先勇的 樹猶如此,人何以堪。
Thumbnail
日本長野有一對夫婦民宿主人是我日本婆婆的朋友。他們從年輕時就認識到現在。 民宿主人誠臣桑高大挺拔有活力。他年輕時是一位銀行家,在49歲的那一年為了實現他的民宿夢毅然決然的辭掉工作,用他的畢生積蓄在長野找了一塊地開始建造他理想中的小木屋。 我們第一次造訪小木屋的時候,誠臣桑已經將近60歲。
顏回君找到我,我們又在大樹下,他對我說道:在你的小說裡,俊郎(辣仔良)和你是青梅竹馬?我回答說:是的,海燕和俊郎都是富家子弟,一個敗家,一個惜家。顏回說道:但我確搶了俊郎的女人,你看這一段;心中有何願望?看到有人雨中救蟻,心中感動了。心裡的知善說:救蟻之人已化解了他生命中的無常,他的知善已救了他一命
Thumbnail
鷲岩真紀子中學時的夢想是成為職業棋士,然後搬出老家。 倒不是和家裡人關係不好,她的父母是樂天派,生來是不太會跟人起爭執的溫和性格,也不強求孩子非要出人頭地,一家人有種船到橋頭自然直的耿直,而比她年長三歲的兄長,陽太,更是這種耿直的人形化身。 直白地說,陽太是個不太走運的人。
Thumbnail
琅琅讀書聲中,春生逐光而去,漸去漸遠,臨了,回眸一笑。
Thumbnail
他是一個南部鄉間來台北讀書的同學,父母早年離異,留下了他與弟弟給爸爸與年邁的奶奶。我初見他的時候,只感覺他很不羈,卻又不像平常的小混混,流露出某種聰明又單純的味道。
Thumbnail
作者李雅容,也就是李應鏜的女兒,在自序裡提及自己兒時在家中從旁觀察的時刻,那些來訪的客人和父親、母親的交談,總是用著一口道地的臺語,對許多人而言,生活於1930-1950年代的臺灣地方仕紳,總好像蒙上一層神秘的面紗,而對於她而言,卻是一段真實的童年。
Thumbnail
數日後,揚州市集暗巷裡的某間書攤前,老闆正在大聲招呼著。 「大作家青山一發推出最新小冊子啦!『土火雙行』裡的同袍兄弟之愛絕對讓妳心動、感動更激動!前五十名還有親筆簽名,快快快!」 瞬間,整條巷子擠滿了興奮而驚呼不已的少女少婦們。