2010-09-09|閱讀時間 ‧ 約 4 分鐘

日露戦争の講和条約記念日 ●日經 / 春秋(2010.09.04)雲程譯

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    不知思考過沒?1905年的日俄戰爭,日勝俄沒賠;1885年的清法戰爭,清勝清賠款。中國舉國譁然。

    是耶非耶?有沒有可能是小村壽一郎的全盤思考結果?

    或真是昏庸?

    還是,全權大使收取賄賂?

    作為後人的,讀歷史若人云亦云,比賽資料記憶的多寡,最後腦筋裝的會只是垃圾。

     

    日露戦争の講和条約記念日 ●日經 / 春秋(2010.09.04)雲程譯

    美國新罕布夏州將95日制定為紀念日,名為「普茨茅斯和平條約日」。為紀念1905年就在那邊簽署日餓戰爭的和平條約。為讓後代記取「歷史上重要的一頁」。

    同一州的普茨茅斯是日俄和約會談的主要舞台。談判困難的背後,卻有當地熱情的招待。雖然經過105年,仍有值得今天記憶的重要史實。吉村昭所作描寫談判的小說《普茨茅斯之旗》(ポーツマスの旗)後記中記載著當地仍展示著和平會議當時的照片。

    其次,為了結束戰爭日本所派遣的全權代表小村壽一郎在當時被嚴厲批評。戰勝國居然賠償金分文不取,日比谷因此掀起暴動事件。但,因戰爭使得國內兵疲馬瘦,假使未趕緊取得和約來結束戰爭,稍有差池的話,歷史恐將改寫。這就是日後歷史學家稱讚小村的原因吧。

    吉村的小說中,以大篇幅描寫小村的考量。「歷史短淺的日本,應該貫徹誠實的基本方針。」日本外交一向拙劣,至今未變,但經濟發展已更為不順。日本與美中俄等大國的關係到底會如何演變,無人敢說?普茨茅斯紀念日,應重視前人告訴我們的智慧話語。

     

     

    日露戦争の講和条約記念日 ●日經 / 春秋(2010.09.04)雲程譯

    米国のニューハンプシャー州が、あす9月5日を記念日に制定した。名付けて「ポーツマス講和条約の日」。1905年、かの地で結ばれた日露戦争の講和条約を祝うという。「重要な歴史の一章」とし、後世に語り継ぐのが狙いとか。

    同州ポーツマスは日露講和会議の主要舞台。難交渉を陰で支えたのは、地元の温かいもてなしだったともいわれる。105年もたつが、今でも記憶すべき貴重な史実なのだろう。吉村昭氏も講和交渉を描いた小説「ポーツマスの旗」のあとがきに、町は「講和会議がおこなわれた頃(ころ)の写真そのまま」と書いている。

    さて、戦争を終結させたものの日本全権、小村寿太郎の当時の評価はさんざん。勝ち戦なのに賠償金も取れなかったと、日比谷では焼き打ち暴動も起きた。だが戦争に疲弊した国内状況のなか、講和が成立しなければ全く違った歴史が待っていたかもしれない。後世の史家が小村を称賛してやまないゆえんである。

    吉村氏の小説に小村の思いを記したくだりがある。「歴史の浅い日本の外交は、誠実さを基本方針として貫くこと」。日本の外交下手は相変わらずで、経済ももたつきがち。米国や中ロなど大国との関係もどこかぎごちない。ポーツマスの記念日は、先人の知恵を今こそ学べと、私たちに語りかけている気がする。

     

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