某日,在因緣際會下,我得了《北越雪譜》一書,是天保11年(1841年)出版,內容豐富精采以及精美的版畫,文字形容也當生動。之後續篇文章,會依照所得書籍陸續介紹內容,會先將古文譯為現代日文,再挑精彩章節,翻譯中文分享。
雪の形
凡物を視るに眼力の限りありて其外を視るべからず。されば人の肉眼を以雪をみれば一片の鵞毛のごとくなれども、数十百片の雪花を併合て一片の鵞毛を為也。是を験微鏡に照し視れば、天造の細工したる雪の形状奇々妙々なる事下に図するが如し。其形の斉からざるは、かの冷際に於て雪となる時冷際の気運ひとしからざるゆゑ、雪の形気に応じて同じからざる也。しかれども肉眼のおよばざる至微物ゆゑ、昨日の雪も今日の雪も一望の白糢糊を為のみ。下の図は天保三年許鹿君*1の高撰雪花図説に在る所、雪花五十五品の内を謄写にす。雪六出を為。 御説に曰「凡物方体は(四角なるをいふ)必八を以て一を囲み円体は(丸をいふ)六を以て一を囲む定理中の定数誣べからず」云々。雪を六の花といふ事 御説を以しるべし。愚按に円は天の正象、方は地の実位也。天地の気中に活動する万物悉く方円の形を失はず、その一を以いふべし、人の体方にして方ならず、円くして円からず。是天地方円の間に生育ゆゑに、天地の象をはなれざる事子の親に似るに相同じ。雪の六出する所以は、物の員長数は陰半数は陽也。人の体男は陽なるゆゑ九出し(●頭●両耳●鼻●両手●両足●男根)女は十出す。(男根なく両乳あり)九は半の陽十は長の陰也。しかれども陰陽和合して人を為ゆゑ、男に無用の両乳ありて女の陰にかたどり、女に不要の陰舌ありて男にかたどる。気中に活動万物此理に漏る事なし。雪は活物にあらざれども変ずる所に活動の気あるゆゑに、六出したる形の陰中或は陽に象る円形を具したるもあり。水は極陰の物なれども一滴おとす時はかならず円形をなす。落るところに活く萌あるゆゑに陰にして陽の円をうしなはざる也。天地気中の機関定理定格ある事奇々妙々愚筆に尽しがたし。
現代文
諏訪邦夫訳
雪の形状
物を見る際、眼力には限界があり、限界の外は見ることができない。だから、人の肉眼で雪をみると一片の鵞毛のようだが、数十百片の雪花を併合して一片の鵞毛となるのだ。雪を顕微鏡で見ると、天の細工した雪の形状は、図の通り実に奇妙である。形が一通りでないのは、寒いところで雪となる時にその条件が一通りでないからで、雪の形も気に応じて違う。しかしながら、肉眼ではみえないほど小さいので、昨日の雪も今日の雪もただ見渡
す限りの白いだけである。この図は天保三年許鹿君の高撰雪花図説にあり、雪花五十五品の内から写している。
雪は六角形に突出している。その本の説によると「およそ万物は方体つまり四角で、必ず八をもって一を囲むもので、円体なら丸である。雪のように六を以て一を囲むのは、定理中の定数をあなどってはいけない」云々。雪を六の花というのは、この説からわかる。私の推測だが、円は天の正象、四角は地の実位である。天地の気中に活動する万物は、すべて方か円である。例を挙げよう。人の身体は四角なようで四角ではないし、円いようで円くもない。これは天地の四角と円の間に育つ故で、結局天地の象から脱却することはない。
この点は、子が親に似る点と同様である。雪が六角形なのは、物の基本は、偶数は陰で奇数は陽である。人の身体でも、男は陽なるゆえ凸の箇所が9 つある
●頭 ●両耳 ●鼻 ●両手 ●両足 ●男根
女は凸の箇所が10 である。男根がなく両乳がある。九は半(奇数)の陽、十は長(偶数)の陰である。
そうはいうものの陰陽和合して人となるのだから、男にも無用の両乳があり女の陰に似ており、女にも不用の陰舌があって男に似ている。
気中で活動する万物は、この理屈にすべて合致している。雪は生物ではないが、変化する所に活動の気があるから、六角形の陰が多く、ときに陽にあたる円形のもある。水は陰の極端な物質だが、一滴落とす時はかならず円形になる。落ちるところに活動の兆しがあるので、陰なのに陽の円の性質を失わない。天地の気中の機関定理が決まっている点は精妙で、私の筆では書きつくせない。
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