2019-11-16|閱讀時間 ‧ 約 4 分鐘

ルパン三世 カリオストロの城

前幾天網路上有這樣的一篇文章 我們熟悉的亞森.羅蘋,其實來自日本作家的加工? 難怪日本人這麼愛魯邦三世。講到魯邦三世,當然要講到宮崎駿早期的名作「カリオストロの城」,它的故事大約是這樣:
世界聞名的怪盜魯邦三世及其搭檔次元大介,為了追查偽鈔「哥德鈔」來到歐洲獨立國家「卡里奧斯特羅公國」。身為卡里奧斯特羅公國實質統治者的萊瑟,打算藉由娶克蕾莉絲為妻,取得大公之位,進行獨裁統治。再度成為階下囚的克蕾莉絲,被關進了萊瑟的居城卡里奧斯特羅城。魯邦為了將她救出,找來了老戰友石川五右衛門。但得知魯邦對萊瑟發下預告書的錢形警部,也率領了警官隊前來,準備逮捕魯邦。加上早已變裝為家庭教師潛入卡里奧斯特羅城的峰不二子在內,「魯邦家族」至此全數到齊了。以卡里奧斯特羅城為舞台,為了救出克蕾莉絲與揭開哥德鈔之謎,展開了一場大混戰。
片尾曲很有名,一放出來,我的學生都說聽過:

名言集摘錄:

「いや、奴はとんでもないものを盗んでいきました。あなたの心です。」
「不是,那傢伙(魯邦)偷走的東西,才是非常大條。是您純真的心啊!」
最後一幕錢形警官的話,也道出了公主最後暗戀上小偷的少女情懷。以正義警官之姿,痛罵神偷無形。但是一方面佩服,一方面到出了錢形與魯邦之間亦敵亦友的關係

「まさか、捨てたの」

出自クラリス(女主角)與不二子的對話。
不二子這樣形容魯邦:「時には味方、時には敵。恋人だったこともあったかな」
クラリス如此問:「捨てられたの?」(妳是被他拋棄的嗎?)
不二子:「まさか、捨てたの」(才怪!是我甩他的)
第一句是受身詞,表示被動的「被拋棄」,第二句的說法非常的具有女性主義的意味「是我不要他的」,在1980年代播放當時,也有解放女性,在愛情裡面,不再是被動的受身意味。
「捨てられたの?」
「まさか、捨てたの」
年輕女孩vs成熟女人的對話。利用動詞變化的對比(日本動漫畫的特色)

「今は、これが精一杯」

ルパンがクラリスに手品のような仕掛けを見せてくれる、静かながら心に残るシーンだ。「あぁなんということだ。その女の子は悪い魔法使いの力を信じるのに、泥棒の力を信じようとしなかった。その娘が信じてくれたなら泥棒は空を飛ぶことだって湖の水を飲みほすことだってできるのに・・・」も名セリフだ。
しかし世界に名が知れ渡っている大泥棒が、必死に一人の娘のところへたどり着き「今は、これが精一杯」そんなセリフを言われてしまったら選ぶしかない。このルパンの姿は、年を重ねて見ると沁みるものがある。
他にも「血が足りねぇ、なんでもいい。じゃんじゃん持ってこい!」など普段のルパンとは違う珍しい姿を見られる印象的なセリフもあり、やはりキリがない。並べてみると、次元以外の主要メンバーのセリフが並んだ。もちろん次元も必要不可欠なキャラクターだが、本作では相棒に徹し、ルパンに花を持たせていたように感じる。そんな姿がまたかっこよくもあり、かっこいいルパン一家の人間模様だ。そんなかっこいい泥棒たちを描いている。
(to be continue)
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