第29帖
この方オホカムツミノ神として書きしらすぞ。
聖人以桃子神的名義寫神示示之。
病あるかなきかは手廻はして見れば直ぐ分かるぞ。
有沒有病安排看診就知道了。
自分の身体中どこでも手届くのざぞ。
不管是自己的身體的哪邊都隻手可及。
*手届く,物理上/抽象的都可形容。
物理上: 手搆的到
心理上: 力所能及
手届かぬところありたら病のところ直ぐ分るであろうが。
有手不能及的地方的話,就能馬上判斷是有病的地方。
臣民の肉体の病ばかりでないぞ。
臣民的肉體不是只有病。
心の病も同様ぞ。
心病也是一樣。
心と身体と一つであるからよく心得て置けよ。
請記得,心與身體為一體。
国の病も同様ぞ。
國家的病也是一樣。
頭は届いても手届かぬと病になるのぞ。
就算已經到了頭腦,只要力所不能及,就會生病。
手はどこへでも届くやうになりてゐると申してあろが、今の国々のみ姿見よ。
雖曰:「現在手不論哪裡,都力所能及」,但看看現今的眾國吧。
み手届いて居るまいがな、手なし足なしぞ。
不是力所不能及嗎,手腳都沒辦法使用。
手は手の思ふ様に、足は足ぞ。
手以手所想的行動,腳以腳的。
これでは病直らんぞ。
這樣的話,病不會治好。
臣民と病は、足、地に着いておらぬからぞ。
臣民與病,是因為腳沒有接地氣。
足 地に着けよ。
腳,接地氣吧。
草木はもとより、犬猫もみなお土に足つけて居ろうがな。
不說草木,貓狗也都腳踏實地。
三尺上は神界ぞ。
三尺上是神界。
お土に足入れよ。
把腳放在土裡面吧。
青人草と申してあろうがな、草の心に生きねばならぬのざぞ。
雖然說是蒼生,但也不能以草的心來生存。
*雙關,「草」
尻に帆かけてとぶようでは神の御用つとまらんぞ。
在屁股上插根帆,想要飛的話,無法從事神的御用。
お土踏まして頂けよ。
踩土吧。
足を綺麗に掃除しておけよ、足よごれてゐると病になるぞ。
把腳弄乾淨,腳髒了就會生病。
足からお土の息がはいるのざぞ。
從腳開始包裹土的氣息。
臍の緒の様なものざぞよ。
像是臍帶那樣的東西。
一人前になりたら臍の緒切り、社に座りて居りて三尺上で神につかへてよいのざぞ。
獨當一面時,臍帶就被切斷,坐在神社上,奉仕三尺上的神明也好。
臍の緒切れぬうちは、いつもお土の上を踏まして頂けよ。
趁還沒切斷臍帶的時候,一直踩在土上吧。
それほど大切なお土の上 堅めているが、今にみな除きて了ふぞ。
如此重要的土上,變得堅固,但是,現今,大家都被排除在外。
一度はいやでも応でも裸足でお土踏まなならんことになるのぞ。
不論願不願意,一度需要赤腳踩在土上面。
神の深い仕組ざから あり難い仕組ざから 喜んでお土拝めよ。
因為是神艱深的道、感謝的道,歡喜地拜土吧。
土にまつろへと申してあろうがな、何事も一時に出て来るぞ。
曰:「順從土」,什麼事情,一時都會出現。
お土ほど結構なものないぞ。
沒有像土一樣完美的事物。
足のうら殊に綺麗にせなならんぞ。
必須特別把腳的內側弄乾淨。
神の申すやう素直に致されよ。
坦率地從事神所示吧。
この方 病直してやるぞ。
聖人會幫你治病。
この神示よめば病直る様になってゐるのざぞ。
只要研讀神示,病就會好。
読んで神の申す通りに致して下されよ。
讀,從事神所示。
臣民も動物も草木も病なくなれば、世界一度に光るのぞ。
臣民、動物、草木,只要沒病,世界就會發光。
岩戸開けるのぞ。
開岩戶。(進入下一個世界)
戦も病の一つであるぞ。
戰爭也是一種病。
国の足のうら掃除すれば国の病直るのぞ。
只要清洗國的腳的內側,國的病就會好。
国、逆立ちしてると申してあること忘れずに掃除して呉れよ。
不要忘記有曰: 「國家,倒立著」的這件事情,清掃吧。
上の守護神どの、下の守護神どの、中の守護神どの、みなの守護神どの改心して呉れよ。
上中下的守護神,大家的守護神,改過自心吧。
いよいよとなりては苦しくて間に合はんことになるから、くどう気つけておくのざぞ。
時候到了,就會很痛苦,來不及,所以注意重複述說的事。
病ほど苦しいものないであらうがな、それぞれの御役忘れるでないぞ。
沒有比病更痛苦的事物了吧,不要忘記各自的角色。
天地唸るぞ。
天地呻吟。
でんぐり返るのざぞ。世界一どにゆするのざぞ。
就像後空翻,世界會一度搖晃。
神はおどすのではないぞ。
神沒有在威脅。
迫りて居るぞ。
危機正靠近著。
附記: 三尺上的神明,這不是跟中文俗諺一樣嗎。
另外,土,在富士卷中有出現過,指的是五色的土,具有各種效用。