日月神示-天卷-第二十四、二十五帖翻譯

2022/11/28閱讀時間約 2 分鐘

第24帖

今の臣民めくら聾ばかりと申してあるが、その通りでないか。
曰:現今的臣民都是盲人、聾子,不是這樣嗎?
この世はおろか自分の身体のことさへ分りては居らんのざぞ。
遑論整個世界,就連自己身體的事情都不了解。
それでこの世をもちて行く積りか、分らんと申しても余りでないか。
打算這樣行走於世嗎?說是不知道也要有個餘地吧。
神の申すこと違ったではないかと申す臣民も今に出て来るぞ。
神示是不是有錯? 如此說的臣民於現今也出來了。
神は大難を小難にまつりかへてゐるのに分らんか、えらいむごいこと出来るのを小難にしてあること分らんか。
明明神以祭祀的方式,將大難轉換為小難,還不知道嗎? 不知道神將偉大的、殘酷的事情變成小的災難嗎?
ひどいこと出て来ること待ちてゐるのは邪のみたまぞ。
等待殘忍的事情出來的是,邪惡的身魂。
そんなことでは神の臣民とは申されんぞ。
這樣的事情,無法稱作是神的臣民。
臣民は、神に、わるい事は小さくして呉れと毎日お願ひするのが務めぞ。
臣民每日任務就是,向神乞求,乞求神將壞事化小。
臣民 近慾なから分らんのぞ。
臣民離欲望很近,所以不知道。
慾もなくてはならんのざぞ。
但也不能沒有慾望。
取違ひと鼻高とが一番恐いのぞ。
最可怕的是搞錯跟自恃。
神は生れ赤子のこころを喜ぶぞ。
神喜生下來的嬰兒之心。
みがけば赤子となるのぞ。
磨亮身魂就會變成嬰兒。
いよいよが来たぞ。
終於來了。

第25帖

今に臣民 何も言へなくなるのざぞ。
不久,臣民將漸漸地什麼也說不出來。
神烈しくなるのざぞ。
神越來越激烈。
目あけて居れんことになるのざぞ。
變得無法張開眼睛。
四つン這ひになりて這ひ廻らなならんことになるのざぞ。
四肢匍匐在地,不得不在地上爬行。
のたうち廻らなならんのざぞ。
痛的滾來滾去。
土にもぐらなならんのざぞ。
不得不潛到土裡。
水くぐらなならんのざぞ。
潛到水中。
臣民可哀さうなれど、かうせねば鍛へられんのざぞ。
臣民很可憐,但是不這樣的話就不能構成鍛鍊。
この世始まってから二度とない苦労ざが、我慢してやり通して呉れよ。
這個世界開始後,不會有第二次這樣的苦勞,所以忍耐做吧。
附記: 幾乎所有文化中,都將嬰兒視為人類的某種歸宿。
尼采: 駱駝轉變為獅子轉變為嬰兒。
老莊: 專氣致柔,能嬰兒乎?
而這篇也不例外。
我們是不是能夠推論,嬰兒的某種層面其實才是人的終極追求?
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