鎮座は六月の十日であるぞ。神示書かしてまる一年ぞ。
請神是六月十日。自從請岡本天明寫神示的整整一年。
神示で知らしてあろが、それからがいよいよの正念場ざぞ。
雖然以神示的方式說過,但再重複一次,在那之後,關鍵時刻就要到來。
びっくり箱あくぞ。
驚嚇箱就要打開了。
富士は晴れたり日本晴れ、いよいよ岩戸開けるぞ。
富士山放晴時,日本則晴,終於迎來開岩戶的時間。
お山開きまこと結構。
也可以開放登山。
松の国 松の御代となるぞ。
松的國度,松的時代將到來。
旧九月八日から大祓ひのりとに天津祝詞の太のりと「一二三(ひふみ)のりとコト」入れてのれよ。
從舊曆的九月八日起,在禱文中加入天津禱文中的「一二三(ひふみ)のりとコト」,並加以宣唱吧。
忘れずにのれよ。
請務必宣唱新版的禱文。
その日からいよいよ神は神、けものはけものとなるぞ。
從那天開始,神將終成神,獸終將成獸喔。
江戸道場やめるでないぞ。
不要廢棄江戶道場。
お山へ移してよいぞ。
可以把它搬到山上。
役員一度やめてよいぞ。
幹部可以暫時放棄從事工作。
またつとめてよいぞ。
可以再回來為大業貢獻。
めぐりあるから心配あるのぞ。
因為有因果,所以才生擔憂。
めぐり無くなれば心配なくなるぞ。
若無因果,則無憂。
心配ないのが富士は晴れたりぞ。
沒有擔憂,富士則放晴。
富士晴れ結構ぞ。
而富士放晴是好事。
日津久の御民 何時も富士晴れ心でおりて下されよ。
日月的臣民,請無時無刻都保持清明的心。
肉体ちっとの間であるが、魂は限りなく栄へるのざぞ。
肉體是有為法,而靈魂可以無限榮耀。
金に難渋して負けぬ様にして下されよ。
即便阮囊羞澀,也不要放棄。
金 馬鹿にしてはならんぞ。
不要隨便對待金錢。
あせるでないぞ。あせると心配事出来るぞ。
不要焦急,焦急生憂慮。
神が仕組みてあること、臣民がしようとて出来はせんぞ。
神所創造的道,臣民想做也不到。
細工はりうりう滅多に間違ひないのざぞ。
巧工行雲流水,幾乎不會出錯。
見物して御座れ、見事して見せるぞ。
好好見識吧,做好之後給你看喔。
不和の家、不調和(ふわ)の国のささげもの神は要らんぞ。
不和樂的家庭,不調和的國家的祭品,神是不要的喔。
喜びの捧げもの米一粒でもよいぞ。
出自喜悅的祭品,就算是一粒米,也是不錯的。
神はうれしいぞ。
神感到歡喜。
旧九月八日とどめぞ。
舊曆的九月八日就是結束喔。
附記:搬來日本快一年,已經考上大學了。大學生活繁忙,而這個月是期末月,天天都有報告死線。即便如此,我最近還是構想了一篇完整的小說架構,當作閒暇之餘的打發時間,或多或少地寫一下,預計會發在角角者。寫作應該是某種自因的運動,為了寫而寫,寫就是目的,目的就是寫。之前比較心急的時候,會想要趕快立下自己的一家之言,現在不是說沒有這個想法,只是比起那顆急功近利之心,我變更慢了一點吧。