友人の思い出 - 湾生竹中信子さん

2024/02/13閱讀時間約 3 分鐘

2023年6月9日、映画『湾生回家Wansei Back Home』の出演者の一人である竹中信子さんが、肝臓病のため東京の自宅で安らかに92歳で亡くなった。


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2023年も台南物產に依頼してマンゴーを一箱お送りした。いつも箱が届いたらすぐに返事が届いていたのだが、配達予定日の6月9日に、家族から「主に召された」という知らせが届いた! おそらく台湾の彼女の友人たちの中では私が一番にその知らせを受けたと思う。 そのときの私の思いはただひとつ、「贈り物は供え物になる」ということだった!


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2015年に公開された映画『湾生回家Wansei Back Home』がきっかけとなり、"台湾生まれの日本人 "が話題となったが、私は映画の登場人物の中でも竹中信子さんの半生に深く感銘を受けた。彼女はニュースで「台」の文字を見るたびに、目を離さずに惹きつけられるという。そんな台湾愛は本当に尊い!


竹中信子さんと初めて会ったのは、2016年に台南市で開催された「不老日本夢~台湾同窓会~」だった。笑顔で誠実な方だったことを覚えている。 2017年、2018年と、竹中さんが台湾を訪問する予定があると、いつもメールで 会える様にしてくださった。日本語が不自由な私は、竹中さんと深い話をすることはできなかったが、彼女から信頼される臺灣の友人の一人になれたことに、少し自己満足を感じていた。


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信子さんの祖父、竹中信景さんは、蘇澳の冷泉の開発者で、1907年に清涼飲料水(炭酸水)の製造販売を始めたというから、彼女は竹中家の3代目として冷泉のことは知り尽くしている。 今日に至るまで、夏に蘇澳で催される冷泉祭などのイベントが開催されると、彼女は必ずそのイベントに参加して楽しみ、必ず蘇澳金華冷泉旅館203号室に宿泊する。


蘇澳に帰ってくると、まるで故郷に帰ってきたような気持ちになる様だった。状況は変わり、人も変わったが、故郷の風景や匂いは彼女のDNAに長く刻み込まれているからだろう。 suou150を意味するメールコード「suou150」は、竹中家の旧家ののあった住所であり、このちょっとした工夫には強い郷愁が秘められている!


2018年の夏、竹中信子さんの協力を得て、西門紅楼と旧台湾大学病院の設計者である近藤十郎の長孫に会うことができた。一見不可能に思えることだったが、彼女は私の夢をいとも簡単に実現させてくれ、今でも私は感謝している! 


2020年にコロナが発生し、国境管理が敷かれた後、湾生の帰省は中断され、高齢の彼女は家にこもって読書と執筆を日課とした。 彼女は手紙の中で、台湾を訪れることができなかったことを悔やみつつも、研究や執筆の時間が増えたことは幸運だったと述べている!



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2021年の夏、台湾でのコロナの流行がだいぶ収束した頃、私は蘇澳に行き、たくさんの写真を撮って、すぐにLINEで送り、竹中さんに状況を伝えた。 彼女はこのささやかな行為をとても喜んでくださった。そして今、私はとても嬉しく思っている。竹中さんは二度と台湾に戻ることができなかったのだから、このように少しでも彼女のためになる仕事ができたことは、私にとって光栄なことだった。


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2023年7月15日、蘇澳鎮公所主催の冷泉祭りに彼女の姿はなかった。翌年の元旦に彼女から年賀状が届くこともなかった! 過去の友情を記念するために、私は自分の思いを言葉にしてインターネットに掲載した!


竹中信子さん、ありがとうございました。



 

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