《明神宗實錄》沒釣魚
【Comment】
中國稱釣魚台在600年前的明代即為中國所管轄。
日本學者根據中國《明皇實錄》(應該是萬曆的《明神宗實錄》)在1617(萬曆45)年8月的記載,當時海道副使逮捕長崎來的使者明石道友,並奏文呈報皇帝。
奏文明白提及沿岸約40公里的記載「東湧島」(馬祖東引島)等島嶼,但對於40公里外側的海域則稱為「華夷所共」,即中國與外國所能自由使用的海域。釣魚台群島,距離中國海岸330公里。
明帝國在1530年代有派遣使者到琉球的記錄。中國根據記錄提及:琉球的管轄海域邊緣為釣魚台/尖閣群島東側的目前稱為久米島與大正島之間,從而宣稱釣魚島為明帝國的領土。但根據學者石井望准所提《神宗實錄》,明代的管轄海域只有40公里,其外的領土應為「無主」。所以1895年日本政府根據實地調查,認定其上並無他國管轄與居住痕跡從而認定其為無主地,而編入日本範圍。
其實,稍後的1626年荷蘭(荷蘭共和國下的東印度公司)佔據澎湖想與福建通商,明帝國福建省巡撫打敗荷蘭,並約法:1. 荷蘭放棄澎湖島;2. 中國允許荷蘭通商;3. 荷蘭染指臺灣,明朝政府可以不問。[1] 假使像台灣這麼大,當時都是中國以外的番地,中國豈有曾統治釣魚台之理?
150年後,清帝國的反應也一樣:1867年 羅妹號事件、1874年 牡丹社事件,大清對於台灣這一個大島的態度都是「不關我事」,為何1895年元月會念茲在茲撮爾無人小島釣魚台,是否被日本收歸????
尖閣、400年前は支配外…明王朝公式日誌に◎讀賣新聞(2013.01.21)http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130121-OYT1T00687.htm
中国の明王朝の公式日誌「皇明実録 ( こうみんじつろく )」の中に、明の地方長官が日本の使者との間で、明の支配する海域が尖閣諸島(沖縄県)より中国側にある台湾の馬祖 ( ばそ )列島までと明言し、その外側の海は自由に航行できるとした記述を、長崎純心大の石井望准教授(漢文学)が見つけ、21日午前に長崎市内で記者会見して明らかにした。
中国は現在、尖閣諸島を約600年前の明の時代から支配してきたと主張しているが、石井氏は記者会見で、「歴史的に見ても、尖閣を巡る論争は日本側の主張が正しいということが、この史料からわかる」と語った。
石井氏が見つけたのは、江戸時代初期にあたる1617年8月の皇明実録の記述。沿岸を守る長官だった「海道副使 ( かいどうふくし )」(海防監察長官)が、長崎からの使者・明石道友 ( あかしどうゆう )を逮捕・尋問した際の記録で、皇帝への上奏文として納められていた。
それによると、この海道副使は明石に対し、沿岸から約40キロ・メートルの「東湧島 ( とうゆうとう )」(現在の馬祖列島東端・東引島 ( とういんとう ))などの島々を明示したうえで、この外側の海を「華夷 ( かい )の共にする所なり」とし、中国でも他国でも自由に使える海域だと指摘したという。魚釣島 ( うおつりじま )などからなる尖閣諸島は、中国大陸から約330キロ・メートル離れている。
中国は、明王朝の1530年代に琉球に派遣された使者の記録をもとに、琉球の支配海域の境界は尖閣諸島の東側にある久米島と同諸島の大正島の間にあり、魚釣島などは明の領土だったと主張している。だが、今回の記述により、明の支配海域は沿岸から約40キロ・メートルまでで、尖閣諸島はどこの国にも属さない「無主地」だったことが明らかになった、と石井氏は指摘している。日本政府は、尖閣諸島が「無主地」であることを調査・確認したうえで、1895年に日本に編入したとしている。
(2013年1月21日14時36分 読売新聞)