------------閱讀文章前,先來背幾個單字吧------------当て n. 目標、暇を出される v. 被開除、n. + にほかならない 不外乎、空模様 n. 天氣、少すくからず adv. 相當、何をおいても 不論如何、差当さしあたり n. 當前、とりとめもない 不得要領、漫無目標、夕闇ゆうやみ n. 暮色
作者はさっき、「下人が雨やみを待っていた」と書いた。しかし、下人は雨がやんでも、格別かくべつどうしようと云う当てはない。ふだんなら、勿論、主人の家へ帰る可べき筈はずである。所がその主人からは、四五日前に暇を出された。前にも書いたように、当時京都の町は一通りならず衰微すいびしていた。今この下人が、永年、使われていた主人から、暇を出されたのも、実はこの衰微の小さな余波よはにほかならない。だから「下人が雨やみを待っていた」と云うよりも「雨にふりこめられた下人が、行き所がなくて、途方にくれていた」と云う方が、適当である。その上、今日の空模様も少すくからず、この平安朝の下人の Sentimentalisme に影響した。申さるの刻下こくさがりからふり出した雨は、いまだに上るけしきがない。そこで、下人は、何をおいても差当さしあたり明日の暮しをどうにかしようとして――云わばどうにもならない事を、どうにかしようとして、とりとめもない考えをたどりながら、さっきから朱雀大路にふる雨の音を、聞くともなく聞いていたのである。
雨は、羅生門をつつんで、遠くから、ざあっと云う音をあつめて来る。夕闇ゆうやみは次第に空を低くして、見上げると、門の屋根が、斜ななめにつき出した甍いらかの先に、重たくうす暗い雲を支えている。
どうにもならない事を、どうにかするためには、手段を選んでいる遑いとまはない。選んでいれば、築土ついじの下か、道ばたの土の上で、饑死うえじにをするばかりである。そうして、この門の上へ持って来て、犬のように棄てられてしまうばかりである。選ばないとすれば――下人の考えは、何度も同じ道を低徊ていかいした揚句あげくに、やっとこの局所へ逢着ほうちゃくした。しかしこの「すれば」は、いつまでたっても、結局「すれば」であった。下人は、手段を選ばないという事を肯定しながらも、この「すれば」のかたをつけるために、当然、その後に来る可き「盗人になるよりほかに仕方がない」と云う事を、積極的に肯定するだけの、勇気が出ずにいたのである。
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- 「どうにもならないことを、どうにかしようとして」與「すれば」這樣的「反覆自問」,對你而言營造出怎樣的心理狀態?
- 下人清楚地知道「手段を選ばなければ、犬のように捨てられるだけだ」,卻仍然無法下定決心成為「盗人」。如果是你,在那個時代、那樣的情境下,你會選擇怎麼做?
-----------------中文翻譯-----------------
剛才作者曾寫道:「下人在等雨停。」然而,其實這名下人即便等到雨停了,也沒有特別想去的地方。若是平時,自然應該回到主人的宅邸才對。但他幾天前已被主人辭退了。如前所述,當時京都城內的衰敗並非尋常。如今這名下人會被長年服侍的主人解雇,其實也不過是這場社會衰敗所帶來的小小餘波罷了。因此,與其說是「下人在等雨停」,倒不如說是「被大雨困住、無處可去的下人陷入了茫然無措」,這樣的說法更為貼切。再者,今日的天色陰沉,也不無影響這名平安朝下人的感傷情緒(Sentimentalisme)。從申時過後開始降下的這場雨,至今仍未見有停歇的跡象。於是,下人無論如何,總得先設法度過明天的生活——說到底,是想對一件根本無法解決的事做些什麼;他就這樣漫無目的地思索著無從著手的念頭,一邊聽著自朱雀大路傳來的雨聲——不,是在「聽也不知自己在聽」那樣的恍惚中,聽著。
雨聲籠罩著羅生門,彷彿從遠處收攏起那「沙——」的一片聲響。夜色逐漸低垂,抬頭望去,只見大門屋頂那斜斜突出的屋瓦盡頭,正沉重地支撐著一片陰暗的雲層。
若要讓無計可施的事有所轉機,那就無暇選擇手段。如果在那裡猶豫不決,便只能躲在牆角、或倒在路旁,活活餓死;最終,只落得被人拋上這座門樓,如狗屍一般被棄置而已。那麼若不去選擇手段呢——下人的思緒,在同樣的路上來回盤旋多次後,終於抵達了這個「關鍵處」。然而這個「如果這麼做的話……」的假設,最終也始終只是「如果」。他雖然在理智上已認同「不能挑手段」這件事,但要真正為那個「那就只能去當賊了」這句話下定決心、積極接受,卻仍無法鼓起那樣的勇氣。
※ 本文所引用的《羅生門》原文已屬公有領域,中文翻譯與語感分析為作者自行編譯與撰寫,歡迎引用但請註明出處。
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