第6帖
天は天の神、地は地の神が治らすのであるぞ。
天由天神治理,地(國)由地神治理。
お手伝ひはあるなれど。秋の空のすがすがしさが、グレンと変るぞ。
有來自外界幫忙,但秋天清澈的天空,將會被染紅。
地獄に住むもの地獄がよいのぞ。
住在地獄的人,認為地獄是好的。
天国ざぞ。
是天國。
逆様はもう長うはつづかんぞ。
相反過來的話,沒辦法長久持續。
無理通らぬ時世が来たぞ。
背道而馳、逆天改命行不通的時世來了。
いざとなりたら残らずの活神様、御総出ざぞ。
時候到了,幾乎沒有留下的活神,傾巢而出。
第7帖
二二は晴れたり日本晴れ。
富士晴,日本則晴。
二本のお足であんよせよ。
以兩隻腳行走吧。
二本のお手手で働けよ。
以兩隻手手工作吧。
日本の神の御仕組、いつも二本となりてるぞ。
日本的神道,一直都是成雙成對。
一本足の案山子さん、今更 何うにもなるまいが、一本の手の臣民よ。
一隻腳的稻草人,事到如今,什麼都成就不了,一隻手的臣民阿。
それでは生きては行けまいが、一本足では立てないと、云ふこと最早分ったら、神が与えた二本足、日本のお土に立ちて見よ。
這樣的形軀是活不下去的,但是,如果一開始就了解一隻腳無法站立的道理,那就應該用神給的兩隻腳,在日本的國土上站著看吧。
二本のお手手 打ち打ちて、神おろがめよ あめつちに、響くまことの拍手に、日本の国は晴れるぞよ。
以兩隻小手手拍打,向天土祭拜神明吧。響亮又真誠地拍手,日本將會放晴。
二二(ふじ)は晴れたり日本晴れ、二二は晴れたり、岩戸あけたり。
富士晴,日本則晴,富士晴,岩戶開。
附記: 莊子<<德充符>>中,有提到幾個單腳站立的形象,王駘、申徒嘉、叔山無趾,這三個人在莊子中代表著非常正面的形象。
一個與孔子平分魯國求學人口;
一個面對王公貴族不卑不亢,導之以正;
一個境界高於孔子,教了孔子一課。
而在日月神示之中,單腳站立的人、只有一隻手的臣民,似乎什麼都做不到,因為做不了祭祀的動作,這可能體現了神道文化中,拍手這件事的神聖性。
拍手在神道文化中代表呼喚神的意思,所以沒辦法拍手,或許就沒辦法與他們所重視的神靈溝通。