細究起來,夏目漱石作為職業作家的創作條件極佳,寫作策略很高明,其大獲好評的小說,都先在任職報社的社會版長篇連載,深慢細長地累積讀者數量。連載期間,他每天都推出嶄新的故事(轉折),像推理小說的情節那樣,吸引讀者沉迷般的閱讀。俟連載結束後,報社旋即打出新書出版預告。夏目漱石的愛情三部曲之一《それから》(後來的事),最初連載於《大阪朝日新聞》(1909年6月20日),翌日,就在《東京朝日新聞》上,打出「新小説----《それから》連載預告,翌年1月,《それから》由春陽堂結集出版。茲摘引如下:
『それから』予告
夏目漱石
色々な意味に於てそれからである。「三四郎」には大学生の事を描かいたが、此この小説にはそれから先の事を書いたからそれからである。「三四郎」の主人公はあの通り単純であるが、此主人公はそれから後あとの男であるから此点に於ても、それからである。此主人公は最後に、妙な運命に陥おちいる。それからさき何どうなるかは書いてない。此意味に於ても亦またそれからである。
我們不難看出,這個連載小說的預告,在及時性和宣傳效應方面,做得相當到位,可謂肥水不落外人田,想要舞台就自己搭建,這樣才能有效強化作家的影響力。而夏目漱石在報紙發表連載小說的行銷策略是成功的,它成為日本作家登上成功嶺的範式,同時激勵著後來報社和作家合作(邀請作家創作報紙連載小說,知名小說家山崎豊子即成功案例之一),以拉抬每況愈下的訂報率。
就此而言,職業小說家似乎有必服克服自命清高的毛病,既然是以創作小說為終生事業,就應該有所做為有專業精神,不僅要時時「推敲」自己的作品,亦要機敏地「行銷」自己的作品。退一萬步說,如果哪天我們能繼承夏目漱石的小說才華,有能耐寫出百年不墜的迷人的長銷書小說,那絕不是媚俗與廉價的幸運。在我看來,它是一種溫暖人性的文化載體,一種踏實而持久的成就。