讀芥川龍之介的『杜子春』,讀到了以下這句。
杜子春は喜んだの、喜ばないのではありません。
這到底是什麼意思呢?從來都沒看過這種「Vたの+Vないのではありません」的句型,從上下文來判斷,應該是要表達「已經不是這樣的程度可以形容」的意思,換句話說,也就是「極為…」、「…之極」的意思,這樣的句子在『杜子春』中總共出現了三次。
杜子春は喜んだの、喜ばないのではありません。杜子春驚喜不已。
神将は彼が恐(おそ)れないのを見ると、怒つたの怒らないのではありません。神將看到他並不畏懼,更是怒不可遏。
その獣(けもの)を見た杜子春は、驚いたの驚かないのではありません。看到(這兩匹)野獸的杜子春感到萬分驚訝。
然後,在『杜子春』中段部分讀到了一首漢詩,也讓我覺得十分新鮮有趣(=喜んだの喜ばないのではありません)。據傳,這首詩是八仙之一的呂洞賓三醉岳陽樓後題詩於壁上。《西遊記》第二回中菩提祖師也有提到第一句的「朝遊北海暮蒼梧」。
朝(あした)に北海に遊び、暮(くれ)には蒼梧(そうご)。
袖裏(しゅうり)の青蛇(せいだ)、胆気(たんき)粗(そ)なり。
三(み)たび岳陽に入(い)れども、人識(し)らず。
朗吟(ろうぎん)して、飛過(ひか)す洞庭湖(どうていこ)。
《全唐詩》卷858
朝遊北海暮蒼梧,
袖裡青蛇膽氣粗。
三醉岳陽人不識,
朗吟飛過洞庭湖。
芥川龍之介的這篇『杜子春』,改編自《唐人傳奇》的〈杜子春〉篇。內容描述散盡家財的富家子弟杜子春,巧遇仙人鐵冠子後,經歷種種磨難考驗,最後終於悟得「悠然寧靜便是福」的道理。文中字字珠璣,讀來趣味橫生,非常適合當作學習日文的課外讀物來閱讀。文中,也出現了不少N2至N1的句型,以下節選三個,以供大家參考。
(1) ~ともなく
「ともなく」是表示「無意識地」或「不確定」、「不清楚」的意思。常用的形態有「見るともなく見ていた」(似看非看地看著)、「聴くともなく聴いていた」(心不在焉地聽著)、「どこからともなく聞こえてくる」(不知從何處傳來了聲音)、「誰にともなく文句を言う」(也不是特定對著誰在抱怨)等等。
虎と蛇とは、一つ餌食(えじき)を狙(ねら)って、互いに隙(すき)でも窺(うかが)うのか、暫くは睨(にら)み合いの体(てい)でしたが、やがてどちらが先ともなく、一時(いちじ)に杜子春に飛びかかりました。老虎跟蛇就好像緊盯著同一獵物,彼此欲伺機而動,而暫時維持著相互瞪視的姿態,但不久後也分不清究竟是哪方先發難,就幾乎是同時奮力地撲向了杜子春。
そうして峨眉山もどよむ程、からからと高く笑いながら、どこともなく消えてしまいました。然後(神將)就高聲哈哈大笑,震得峨嵋山撼然而動,霎時間就不知消失於何方了。
(2) ~やいなや(~や否や)
「やいなや」前接動詞原形(=辭書形),表示前項動作一結束,後項動作就立刻開始,也就是「一…,就立刻…」的意思。譬如,「母は私の顔を見るやいなや、泣き出した」,就是「母親一看到我的臉,就立刻哭了出來」的意思。
すると一陣(いちじん)の風が吹き起こって、墨のような黒雲(くろくも)が一面にあたりをとざすや否や、うす紫の稲妻がやにわに闇を二つに裂いて、凄(すさま)じく雷(らい)が鳴り出しました。緊接著吹起了一陣風,如黑墨般的黑雲驀地將四周整個罩住後,淡紫色的閃電就即刻將黑暗劈成了兩半,然後雷聲就猛烈地狂響了起來。
御殿の前にいた大勢の鬼は、杜子春の姿を見るや否や、すぐにそのまわりを取り捲(ま)いて、階(きざはし)の前へ引き据えました。在大殿前的這許多鬼,一看到杜子春的身影,就立刻把他團團圍住,接著就強押讓他坐在階前。
(3) ~が早いか
「が早いか」跟「やいなや」是一樣的用法,一樣前接動詞原形,也一樣都是表示前項動作一結束,後項動作就立刻開始。譬如,「弟は玄関にかばんを置くが早いか、家を飛び出した」,就是「弟弟一把書包放到大門入口處,就立刻衝出了家門」的意思。
神将はこう喚(わめ)くが早いか、三叉(みまた)の戟を閃(ひらめ)かせて、一突きに杜子春を突き殺しました。神將這樣大喊一聲後,緊接著同時閃過三叉戟,一個突刺就將杜子春給刺死了。
PS:圖檔取自新潮文庫『蜘蛛の糸・杜子春』的封面。