日文版本
このブログの名前「和泉の近代文学書庫」には、私自身と言葉、そして記録するという行為への小さな願いが込められています。
「和泉」は、私の日本語の名前です。
「和」には、調和やバランスという意味があり、それは一つの生き方でもあります。世界との対話の中で、偏らず、過剰に熱くもならず、当たり前に鈍感にもならず、ほどよい距離感を保つ姿勢でありたい。「泉」は、絶えず湧き出る清らかな水のように、自分自身を内側から更新し続けたいという願いを表しています。何かを「知っている」よりも、「学び続けている」状態でありたいと思っています。
「近代文学」への興味は、大学2年生のときに履修した「日本文学名著選読」という授業がきっかけです。芥川龍之介、中島敦、太宰治……。初めて真っ向から彼らの作品と向き合い、言葉が極限まで磨かれ、登場人物が歴史と存在の狭間で息づいていることに触れました。派手さはないけれど、静かに燃えるような感情、じっくりと味わいたくなる文体に惹かれ、「文学とは、ただ理解するものではなく、読んでいるうちに、言葉にできない何かにふと触れる体験なのだ」と感じるようになりました。
「書庫」という言葉には、私にとって単なる情報の集積ではなく、世界をそっと保存するような、優しい響きがあります。昔の家にある木の本棚のように、あるときはふと書き留めたメモ、あるときは熟考を重ねた文章。ここは知識を並べるショーウィンドウではなく、私自身の読書の記憶や言葉の観察記として、ゆっくりと物事を解き明かすための場所でありたいと思っています。
そうした想いから、この場所に「和泉の近代文学書庫」という名前をつけました。
ここは私にとって、個人的な記憶の場であると同時に、ひらかれた小さな書庫でもあります。日本語、文学、語感、思索の道のりを記録し、ときには交換留学の体験や日常の中でのささやかな気づき、自分自身との対話を綴っていきます。
もしあなたも、言葉が感情をどう映すのか、語感の繊細さ、あるいは複雑なことをどうすれば伝わるかに興味があるのなら、どうぞこの書庫に立ち寄ってみてください。きっと、どこかの一文で、私たちは静かに共鳴し合えるんでしょう。
中文版本
這個名稱的由來,其實是我對自身、對語言、也對記錄本身的一種期許。
「和泉」是我的日文名字。
「和」,有平衡、調和的意思,也是一種態度——在與世界的對話中,努力維持一種不傾斜的姿態,不被過度激動所淹沒,也不被習以為常所麻痺;而「泉」,則象徵著源源不絕的自我更新。比起「學會什麼」,我更希望自己「不斷學習」,像湧泉那樣,保有某種從內部湧現的清澈與推進力。
「近代文學」的熱情來自一堂課。大二那年,我選修了〈日本文學名著選讀〉,第一次正面對讀芥川龍之介、中島敦、太宰治……那些文本彷彿將語言推到臨界點,人物在歷史與存在的夾縫間呼吸,文字卻不張揚。那是一種靜靜燃燒的情緒,一種需要耐心,也值得咀嚼的語感。我逐漸理解,「文學」並不只是要讓人理解,而是讓人在閱讀中,被某些難以言說的東西碰觸。
而「書庫」這個詞,對我來說不僅僅是資料的集散地,它更像是一種溫柔的封存,一種將世界悄悄收入的方式。我想像它像是老屋裡的木櫃,有時是隨手一放的筆記,有時則是一篇篇沉思後的文字。那不是知識展示的櫥窗,而是屬於我自己的閱讀記憶與觀察筆記,一種「慢慢說清楚某件事」的努力。
因此,我將這裡命名為「和泉の近代文学書庫」。它是個人記憶的場域,也是一個開放的角落。記錄我在日語、文學、語感與思想上的探索,偶爾寫些生活觀察、交換經驗,或是自我摸索的過程。
如果你也對語言如何折射情感、對語感的細節、或是如何把複雜的東西說得清楚這件事感興趣,歡迎你在這個書庫裡停留、翻閱,或許我們會在某一句話裡產生共鳴。
謝謝你讀完!読んでくれてありがとう!

























