更新於 2024/11/27閱讀時間約 2 分鐘

日月神示-天卷-第二十四、二十五帖翻譯

    第24帖
    今の臣民めくら聾ばかりと申してあるが、その通りでないか。 曰:現今的臣民都是盲人、聾子,不是這樣嗎?
    この世はおろか自分の身体のことさへ分りては居らんのざぞ。 遑論整個世界,就連自己身體的事情都不了解。
    それでこの世をもちて行く積りか、分らんと申しても余りでないか。 打算這樣行走於世嗎?說是不知道也要有個餘地吧。
    神の申すこと違ったではないかと申す臣民も今に出て来るぞ。 神示是不是有錯? 如此說的臣民於現今也出來了。
    神は大難を小難にまつりかへてゐるのに分らんか、えらいむごいこと出来るのを小難にしてあること分らんか。 明明神以祭祀的方式,將大難轉換為小難,還不知道嗎? 不知道神將偉大的、殘酷的事情變成小的災難嗎?
    ひどいこと出て来ること待ちてゐるのは邪のみたまぞ。 等待殘忍的事情出來的是,邪惡的身魂。
    そんなことでは神の臣民とは申されんぞ。 這樣的事情,無法稱作是神的臣民。
    臣民は、神に、わるい事は小さくして呉れと毎日お願ひするのが務めぞ。 臣民每日任務就是,向神乞求,乞求神將壞事化小。
    臣民 近慾なから分らんのぞ。 臣民離欲望很近,所以不知道。
    慾もなくてはならんのざぞ。 但也不能沒有慾望。
    取違ひと鼻高とが一番恐いのぞ。 最可怕的是搞錯跟自恃。
    神は生れ赤子のこころを喜ぶぞ。 神喜生下來的嬰兒之心。
    みがけば赤子となるのぞ。 磨亮身魂就會變成嬰兒。
    いよいよが来たぞ。 終於來了。

    第25帖
    今に臣民 何も言へなくなるのざぞ。 不久,臣民將漸漸地什麼也說不出來。
    神烈しくなるのざぞ。 神越來越激烈。
    目あけて居れんことになるのざぞ。 變得無法張開眼睛。
    四つン這ひになりて這ひ廻らなならんことになるのざぞ。 四肢匍匐在地,不得不在地上爬行。
    のたうち廻らなならんのざぞ。 痛的滾來滾去。
    土にもぐらなならんのざぞ。 不得不潛到土裡。
    水くぐらなならんのざぞ。 潛到水中。
    臣民可哀さうなれど、かうせねば鍛へられんのざぞ。 臣民很可憐,但是不這樣的話就不能構成鍛鍊。
    この世始まってから二度とない苦労ざが、我慢してやり通して呉れよ。 這個世界開始後,不會有第二次這樣的苦勞,所以忍耐做吧。
    附記: 幾乎所有文化中,都將嬰兒視為人類的某種歸宿。 尼采: 駱駝轉變為獅子轉變為嬰兒。 老莊: 專氣致柔,能嬰兒乎? 而這篇也不例外。 我們是不是能夠推論,嬰兒的某種層面其實才是人的終極追求?

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