台湾SFの文化核心--2019日本Sci-con發表(1)(日文)

2019/09/13閱讀時間約 7 分鐘
皆様、こんにちは。私は雲山(うんざん)、台湾から来た小説家です。下には今回、僕と一緒に来日し、午前中と午後の駅伝発表会を共に完成しようとする、同じく作家である友達のGuyver、石林、偉家とアンディです。
初春令月,風淑氣和,無事順調に改元した日本に、おめでとうございます。
嬉しくて光栄で、この改元の新年にて、日本及び日本以外の友達皆様に、台湾の“科幻”(=科学幻想、S.F.)を紹介・説明致します。
台湾のS.F.創作と発展について、多分皆様がそれ程、詳しくないと存じますね。大丈夫、我々もそうです(笑)。その台湾人すら詳しくない現状も、実も台湾S.F.発展の特徴其の一です。この特徴が後程、比較的に詳しく説明してみます。
それでは一番鍵となる部分を話しましょう:
台湾のS.F.と世界のS.F.と比べ、最も重要な特徴は?
その特徴は:
台湾のS.F.と“奇幻”(ファンタジー)の間、殆ど距離無しです。
不思議だと分かりますが、これは確実に、台湾S.F.の特殊性、或いは台湾文化の独特性と言っても良いでしょう。
台湾人の日常生活にて、“奇幻”とは言っても、中々科学的な根拠があるものが満ちている、例と言いますと、「占い」です。
台湾へ旅行したことがある人なら、多少龍山寺近くの地下道にある占い街道や、饒河街夜市の中に、沢山占い屋があることを聞いたことが有る筈ですね。台湾により馴染む人だったら、台湾の祠で、2つ月形の木彫り道具を持って、神々に「イエス・オア・ノー」で事を問う、簡単な占い法が分かります。台湾人の友達とより親しくなった人だったら、台湾の友達に連れて、「知る人ぞ知る」という占いマスターへ占ったことがあるかもしれませんね。
占いという技術が、論理的で言えば占星術や血液占いと同じく、迷信或いは奇幻の領域に属する筈ですが、台湾にて、本気・真剣で占いの結果を重視しますので、その結果を受け入れなくても、使用する技術を真剣に評価する。原因としては、全ての占い技術が、統計学・心理学の上、社会学と人類学の総合ではないかと視します。
占った結果が人の意に合わないことが一つで、占い技術がずっと、其の科学的な背景を持ちます。
同じ状況も、台湾のS.F.創作に発生します。
例えば、伝統的な武侠物語の成長段階――伝説の免許皆伝を受け、古い剣を見つけて、神技を悟って、全て経歴した奇幻武侠世界新英雄の若い主人公が、古今の刀剣鍛冶技術の差異で最期を迎えた、及び骨董刀剣保存問題を触れる。
或いは人類に加害する正体不明の怪獣が、ちょっと前の台湾にてあちこち見えてくる蒋介石の銅像に憑依し、校園怪談の形式でS.F.怪獣の侵略攻撃を展開する。
乃至スペル・妖怪・上古兵器が満ちるゲームの中、レーザー砲を発動する木造り鼠型カラクリが出る等。
台湾のS.F.が奇幻との距離が近いことによって、お互いに同じ物語の主題と社会的な観察結果を享受し、お互いに内容設定と創作手法を借用しますが、最終的な物語の方向性に、その差異性を判別することが可能です。
台湾の奇幻創作が、「平和なる現状に回復すること」に慣習しますが,S.F.創作がしばしば、「新たなる状況を共存する新たな関係を創造すること」に重んじ、奇幻が保守的な回復路線で、S.F.が前進的な改革路線に偏ることです。
これは台湾S.F.、一つ目の特徴です。
台湾S。F.の二つ目の特徴ですが、多分今回の発表の中、多くの人々が一番興味を持つ主題ですが:
台湾と中国のS.F.創作、どんな差異を持つのでしょうか?
台湾と中国の差異が、文化の中核にある差異です。同じく中国語を使いますが、違う文化の中核で表現した結果、一字一句、文法、言葉の調子、価値観等;全てのものが違うことです。
中国文化の核心が「偉大」と「卑劣感」です。
台湾文化の核心が「好し」と「悪し」です。
茲にて早速、文化核心がこの発表会にての定義を説明します。
文化核心が「文化の風格」で、文化と歷史と土地が交互で作用した後、造成した一種類で普遍的な特質で、人々に見れば分かる「これは“あっち”から出た作品ですね」という特徴でも言えるでしょう。
例えば、台湾人が一番馴染ませる隣国、日本。
台湾の角度から見ると、日本の文化核心が「和」と「狂」です。特殊的な規則或いは人物の間の調和を取れたことを求む「和」、加えて「和」を求めることによって「クレイジー」なやり方を取った「狂」が、日本の作品にて普遍的に持つ特徵でしょう。
同じく台湾人の角度で、同じくなじませる米国をも見てみましょう。其の文化核心、所謂「独立自由」と「自滅リスク」が、独立自由を追求すると同時に,自我が壊滅し、死んでから蘇生する過程が、まるでホリーバイブル物語の繰り返しですね。
台湾人の視点で香港を見ると、香港の核心が「怒り」と「無力」で、自らの無力で怒りますが、その怒りに対しても無力です。
台湾人の視点で中国を見ると、中国が自ら理想的な「偉大」を成就する為、自らの「卑劣感」を捨て、批判、背離し、惜しまずに「偉大」の方に偏り、自分の「卑劣感」を攻撃すること。よって中国のS.F.作品が、台湾人から見るとどうも不自然な感じを生じます。其の為か、中国でよく売るS.F.作品が、台湾にてそれ程売れてないです。中国の政治と環境がS.F.創作への影響が、あまりにも強すぎますね。
最後に、台湾人の視点で台湾を見ると、所謂文化核心が「好し」と「悪し」,我々が「好し」の結果を達成する為,「悪し」の手段を惜しまずに使うこと。
台湾の「好し」が、直接に英語のGOOD或いは日本語のいいに直訳することが難しくて、KINDと善に理解すれば宜しいと思います。価値と行為の上で認可する/受ける結果を追求することが「好し」。
「惡し」も単純的に「BAD」と「悪」に定義せずに、寧ろFLAWと「巧言」に近いでしょう。台湾の「好し」が、「邪悪的な過程」で達成することに許され、如何に「好し」の成果と「許される邪悪」という分別を巧妙的に制御することが、台湾S.F.の特徴です。
この特徴が作品に表現すると、「好し」の定義が、どっちに落ちるべきかを争い・奪う過程になるでしょう。
絶対的な道徳価値を選ぶか、相対的な利益価値を選ぶか、台湾にて共同創作の主題と言っても宜しいでしょう。
つまり、「義利の弁」ですね。
我々ほしいのは、義利両方、ならば、悪との距離は如何なだ?
時代毎の台湾作者達が、夫々違う義と利のバランスを選択した。
これらの違いのある、義と利のバランスが、時代毎で違う源流を持つ台湾S.F.作品の脈絡を表現しました。
台湾のS.F.作品が、もう一つ他の国と違う特徴があります。
それが、我々が「S.F.物語」のジャンルを、ずっと更新発明している。
その部分の解説が、次の駅伝戦友に任せます。
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庸俗是很重要的,因為任何偉大的事物,都從最庸俗的地方開始,而任何庸俗的事物裡,總是能掰出最偉大的地方。在從庸俗變得偉大,或是從偉大裡發現庸俗之前,就先獻給自己能夠誠實面對自己吧。 那個庸俗簡單又隨時可能變得偉大的,庸俗的我。
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