日は紙だ。一枚なら風に流されてすぐ消えたが、正にそう言う幾重(いくえ)の取るに足らないで、枠組みが凝って形成され、2人が収まるピッタリの、異国の夢が構築された。
結局、仮初の嬉しさに耽けると同じように、紙台凝夢だ。そして秋月、朝露、早霜は、再度向かって行ったーー馴染み深き我が心の奥底へ。
心の烙印。花の姿はいつもそうだ…情けを残さずに、十分に残す。有形というよりも具体的にその場に留まる——佳人の影に比べて静的に。
僕と裏側は、只今しか存在しない。僕と外側は、只今だけ存在するではない。深謀遠慮は必ずしも良いことではない。いっそ現実の夢幻泡影に浮沈し、酔生夢死すればよかったのに、それでも泡の今を「見破って」しまったのだ。昔・今・後は完全にずれている;天・地・人がすべてぼんやりとした、いわゆる私。