種子島火槍。十六世紀漂流到日本種子島的葡萄牙商人弗朗西斯科・澤莫托(Francisco Zeimoto)、和安東尼奧・達莫托(Antonio da mota),向當地日本人示範新式火繩槍。
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圖片來源:
Wiki Commons, "Hokusai 1817 First Guns in Japan.jpg"
資料來源:
中文維基百科條目,"鐵砲傳來"
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說到種子島火槍的意義,近年來研究也有很多修正。這裡補充下2006年,日本海洋史專家,中島樂章在研討會「從火器技術來看亞洲海域史」講的部分評論:
「如此,近年研究不僅止於歐洲中心的歷史敘述,關於亞洲範圍的火器技術之發達與普及也有很廣泛的討論。即使如此,關於十六世紀歐洲火器傳來以前,亞洲傳統火器的討論卻不太足夠。然而正如Laichen Sun先生報告所指出的,從十四世紀末以來傳統火器已經很廣泛地在使用了。雖然歐式火器傳入對亞洲史的衝擊之大無須懷疑,但東亞的火器史與其說以十六世紀為分界斷開,不如說將之更連續性地理解是有必要的。」
(こうした近年の研究では、伝統的なヨーロッパ中心の歴史叙述にとどまらず、アジアにおける火器技術の発達や普及についてもひろく論じている。しかしなお、16世紀にヨーロッパ式の火器が伝来する以前の、アジアの伝統式火器についての検討は手薄であった。しかしLaichen Sun氏の報告が指摘するように、東部アジアにおいては、すでに14世紀末から伝統的火器技術がかなり広汎に使用されていたのである。ヨーロッパ式火器の伝来がアジア史に重大なインパクトを与えたことは疑いないとはいえ、東部アジアの火器史は、16世紀を境として断絶的にみるのではなく、より連続的にとらえる必要があるだろう。)