(因日本朋友問及台灣的政治歷史與現狀,所以用日語寫了一篇簡述以其為題的短文。)
1895年清帝国は日本に戦敗しました、そのため、《馬関条約》(あるいは《日清講和条約》)双方がこの条約を署名ました。その第二条は、「清国は遼東半島、台湾、澎湖諸島など付属諸島嶼の主権ならびに該地方にある城塁、兵器製造所及び官有物を永遠に日本に割与する」と書かれる。それから50年の間に、台湾は日本に統治されました。でも、1945年第二回世界大戦の終戦後、アメリカの将軍マイクアーサー(Douglas MacArthur)の一般命令第一号(General Order No. 1)より、日本軍隊は中国(その時は、中華民国)の大統領蔣介石に投降するべきことを指示されました。1949年、中国内部の戦争「国共内戦(国民党と共産党の内戦)の結果は、国民党戦敗しました、そのため、台湾に逃げました。その後、1951年署名、1952年効力発生の日本国との平和条約の第二条(b):「台湾、澎湖諸島の権利、権限及び請求権の放棄」と書いた。内容の韓国部分に比べて、「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。」(第二条(a))、台湾の主権状態を言明されなかった。でも、1949年から今日まで、ここに逃げた国民党(その時は、この政党の中華民国が同じものだ、なぜというと、そのときの体制は、レーニン(Vladimir Lenin)式、あるいは、個人英雄主義的なファシスト(Facist)政党である)は台湾を法源がない統治してうます(とはいえ、いまの政府の公式的解釈は、カイロ宣言、ポツダム宣言と降伏文書を基づいて、合法的に台湾の主権を取りました、しかし、国際の関係と事情、特に戦争の場合、結果を決まれるのは、和約しかない、そのうえ、以上の三件文書は、ただの宣言、公告と投降文書だけだ、国際法の効力がすごしでもない)。以上は、台湾主権未定論と言われています。
1949年から1987年まで、38年56日の間に、国民党(あるいは、中華民国)は台湾の島内戒厳状態をさせた。その期間に、いろいろな残酷なことがおこりました、虐殺とか、違法捜査とか、違法逮捕とか、違法審判とか、多すぎるので、いいにくい。又は、最初、大統領の蔣介石は台湾の建設は完全に関心しない、中国大陸の反攻を目指すのため、台湾は一時的な反攻基地しかない、台湾の物資、原料、資源、すべては、軍事のために注入しました。そのため、通貨膨張おこった、「四万元換一元」の名言ができました。1975年蔣介石死んだ後、彼の子蔣經國1978年大統領になった、しかし、たとえ「十大建設」だとしても、日本統治時代の建設とアメリカの資金援助のおかげて完成しましたが、国民党(あるいは、中華民国)は島内人民に、すべてはわれらの功労だと宣伝しました(あるいは,騙した)。80年代の暗殺事件、例えば「江南案」、「陳文成案」、国際的な圧力と内部の社会運動のプレッシャに加えて、戒厳状態を解除しました、ただし、この決定の作ることに対して、蔣經國の慈善と開明のためにできましたと信じる人いまでもすくないことはない、たとえうそでも。
戒厳解除から、時間につれて、外部の環境は確実と段々に自由的と民主的になる、でも忘れないのは、これらの結果は社会運動者と政治行動者が諦めずに、いつもがんばるのおかげてできるのだ。外部環境は自由になったが、たくさん人がいまでも、内部でまだ自由にならない。その上で、マスコミは現代人にとって、世界を認識方法の中で一番重要のだ。なぜなら、例えばどうやって僕らはアフリカである象がいるの?どうやって僕らはある国家でテロ事件があったの?答えはメディア。そのため、メディアの権力を持つ人は、人民の世界理解のことを持っている、すなわち、世界を操縦できる,人民の世界。でも、現在台湾の問題は、沢山メディアは中国の資金を受けた後、平衡と中立を放棄する、一番明らかなのは「中天テレビ」である。もうニュースではない、まるで、いいえ、完全にアドバタイズだ、そのせいで、先に言ったの不自由の思想に加えて、特定の人物朝から夜まで報道(宣伝)した後、市民たちはその人が多分いい選択だと思ったが、実際の政見を検定しない。数回テレビで見た印象、と、その時の執政者はもう執政時間が長すぎると言われる声があるによって、投票しました。その町は高雄といいます、その人は、いまの高雄市長です、名は「韓國瑜」といいます。
2018年11月24日選挙後今まで、ほとんど政見は実現しません、それだけじゃない、実践するつもりはすごしでもない。そのうえ、市長になった後半年の頃、もう大統領の選挙を参加しますと宣布しました、それから、市内では、大水がおこったても、デング熱がおこったても、そのせいで人が死にましたても、市長は自分の大統領選挙のことしか関心しない。最も重要なのは、既に始まりました中米貿易戦が、国際情勢をかわりました。現在、全ての選択は、自分自身の未来とこの島の未来を決めるんだ。不注意なら、中国と共に世界に孤立されます可能性が高い、このことは慎重に対応しなければならないことだ。以上は、いままで台湾の政治状態について、私の感想です。
中文翻譯:
《關於至今台灣的政治狀態》
1895年清帝國戰敗日本,因此,《馬關條約》(或稱《日清講和條約》)雙方就此條約簽署。其第二條寫著「清國將遼東半島、台灣、澎湖督拗等附屬島嶼之主權並該地之城堡、兵廠以及官方所有物永遠割讓予日本。」此後的50年間,台灣被日本所統治。然,1945年第二次世界大戰終戰後,據美國將軍麥克阿瑟(Douglas MacArthur)的一般命令第一號(General Order No. 1),指示日本軍隊應向中國(斯時,中華民國)的總統蔣介石投降。1949年,中國內部的戰爭「國共內戰(國民黨與共產黨的內戰)之結果,國民黨戰敗,因此,逃到臺灣。之後,於1951年簽署,1952年發生效力的與日本國的和平條約(按:舊金山和約)的第二條(b)寫著:「台灣、澎湖諸島的權利、權限及請求權之放棄。」內容與韓國的部分相比,「日本國承認朝鮮的獨立,對於包括濟州島、巨文島及欝陵島所有權利、權源及請求權放棄。」(第二條(a))台灣的主權狀態並未言明。但,1949年起至今日,逃至此的國民黨(那個時候,這個政黨與中華民國是同樣的東西,為何如此說,那時的體制是列寧(Vladimir Lenin)式,或說,個人英雄主義的法西斯(Facist)政黨)對台灣以沒有法源的統治(雖說,目前政府的官方說法以基於開羅宣言、波茲坦公告及降伏文書合法地取得台灣的主權,然而,國際的關係與事物,尤其是戰爭的情形,覺得結果的除了和約以外沒有其他,更且,以上的三件文書只不過是宣言、公告以及投降而已,連一點國際法上的效力都沒有。以上,係所謂的台灣主權未定論。
1949年起至1987年,38年56日之間,國民黨(或說,中華民國)使台灣島內進入戒嚴狀態。在那期間,各種各樣殘酷的事情發生了,虐殺、違法搜查、違法逮補、違法審判,因為太多很難說。而且,最初,總統蔣介石完全對於台灣的建設不關心,因為目標在反攻中國大陸,台灣只不過是一時的反攻基地,台灣的物資、原料、資源,全部,為了軍事投入。因此,發生了通貨膨脹,「四萬元換一元」的名言就出現了。1975年蔣介石死後,其子蔣經國1978年成為總統,然,雖稱的「十大建設」有賴於日本統治時代的建設及美國的資金援助才完成,國民黨(或者,中華民國)對島內人民宣傳(或說,欺騙)所有的功勞都是其等的。80年代的暗殺事件,例如「江南案」、「陳文成案」,國際的壓力加上內部的社會運動壓力,解除了戒嚴狀態,然而,對於這個決定的作成,相信是因為蔣經國的慈善與開明才完成的人即便在現在也不少,即便這是謊言。
解嚴後,隨著時間,外部環境卻是僭建地變的自由與民主,但不能忘記的事,這些結果是社會運動者與政治行動者不放棄地,一直努力完成的。外部環境變得自由,但很多人即便到現在內部仍未變得自由。更甚者,媒體對於現代人來說,是認識世界的方法中最重要的。為何如此說,例如我們怎麼之到非洲有某頭大象?我們怎麼知道某個國家發生恐怖事件?答案是媒體。因此,握有媒體權力者,也握有人民的世界理解,亦即,操縱著世界,人民的世界。但,現在台灣的問題是,很多媒體受受國資金後,放棄平衡與中立,最明顯的就是「中天電視」。已經不是新聞,彷彿,不,完全是廣告,因此,加上先前所說的不自由的思想,特定人物叢造到晚的報導(宣傳)後,市民們想著那個人大概是個好選擇,但不檢驗實際的政見。憑著數次電視看過的印象,及,那時有聲音說執政者已經執政太長的時間,投票了。那個城市叫做高雄,那個人,就是現在的高雄市長,名字是「韓國瑜」。
2018年11月24日選舉後今天為止,幾乎所有政見沒有實現,不只如此,實踐的預定一點也沒有。更且,當上市長後半年的時間,已經宣布要參加總統大選,從此,室內,時便發生淹水、即便發生登革熱,因此還死人,市長除了自己的總統大選以外並不關心。最重要的事,已經開始的中美貿易戰,改變了國際情勢。現在,全部的選擇,決定著自己的未來及這個島的未來。如果不注意,與中國亦同被世界孤立的可能性很高,這個事情不慎重地對應是不行的。以上,是關於至今台灣的政治狀態,我的感想。