2022-04-26|閱讀時間 ‧ 約 22 分鐘

【知言聽書】《生涯弁護人 事件ファイル1 村木厚子 小澤一郎 鈴木宗男 三浦和義》有感

這次選聽的書是《生涯弁護人 事件ファイル1 村木厚子 小澤一郎 鈴木宗男 三浦和義》,對我來說,將近20小時的有聲書,就是個long long long有聲書。
或許這一本書真的很長,導致audible的編輯稍有疏漏,中間聽到一半會聽到朗讀者重複念個幾句也就算了,竟然還可以聽到朗讀者不小心吃螺絲的真實反應,本來是一本正經八百的書,突然出現朗讀者的真性情,聽到一半也不住莞爾XD

本書作者弘中惇一郎,是一名執業五十年的律師,在日本有「無罪請負人」之稱。
書中主要分成四大部分,皆是弘中惇一郎經手過的案件,書中將每一案件的事實、受委任的經過、偵查、法院審理的過程,猶如一張時序表完整介紹及紀錄,遇到一些艱澀的法律名詞、法律程序、歷史案件等,也會特意在註腳中用白話文解釋,所以即便不熟悉法律實務的讀者也可以很輕鬆上手。書中最珍貴的是,透過弘中經手的每一個案件,會看到很多律師的執業的心得以及瞭解到每個案件之所以成案的目的及開庭內幕等,將整個實務運作的過程,可謂赤裸裸地描述。

以下有雷,分別針對每一部份簡略介紹:

第一部份:国策捜査との闘い-村木厚子事件、小澤一郎事件、鈴木宗男事件
第一部分,是弘中惇一郎為國策搜查下之被告辯護的案件,有點類似我國的特偵組,針對某些特定的政治事件組成小組進行調查。
因為這些案件多是特別受社會矚目的政治事件,牽涉的人眾多、金流也巨額,為避免串證或嫌犯逃亡,很多被告在偵查階段很有可能就被羈押了,所謂羈押,代表著被告人身自由受到箝制,弘中惇一郎在這一部分著重在探討,當被告受到羈押時,面對到日本檢方何等的偵訊、辯護人律見被告的實質意義,以及對日本特偵組的運作提出一些批判。

對羈押被告,檢方的偵訊手法
検察官は、連日の長時間の取り調べのなかで、「否認し続けると罪が重くなる」と脅したり、「お前のことを心配しているんだ」とすかしたり、「他の被疑者や関係者は皆こう言っているのに、なぜお前だけ記憶が違うのか」などと誘導したりして、自白に追い込もうとする
日本檢方對這些被羈押的被告時而威脅以「再否認下去將以重罪起訴」、時而懷柔以「我這是在擔心你」、又或者製造矛盾以「其他人都這麼說,為什麼只有你這樣說」等誘導被告,檢方在此階段的目的在於取得被告的自白。
連日、昼過ぎから始まり、休憩や夕食を挟んで夜の一〇時頃まで続いた。これが取り調べの平均的なパターンだ。
同時,檢方透過反覆不斷地偵訊,給予被告一定程度地心理上及生理上的壓力。
検察官はそれに乗じて、「これは手続なんだから、とりあえずサインしてくれ」「違っているなら、あとで訂正すればいい」「言いたいことは法廷で話せばいいんだ」「たいした罪にはならない」などと言い、「とりあえずサインしておけばいいのかな」と思わせる。
當被告開始承受不住反覆枯燥地偵訊,檢察官再進一步軟硬兼施,告以被告「簽名只是形式,錯的話可以修改」、「想說想辯白的話,到法庭再說吧」、「反正罪不會很重」之類的,一樣,目的希望被告儘速簽名,取得被告的自白。
もともと周囲の人たちにとってはさほど関心のないことだし、記憶もはっきりしていない。殺人の現場を目撃したか否かを訊かれているならともかく、業者がその日来たかどうかを訊かれているだけだから、自分の記憶が曖昧でも、検察官から「その日に来たはずだ」と言われると、「重大な話でもないし、『来ました』と言っておこう」という気持ちになってしまう。そういう取り調べを重ねて、同じような内容の調書がいくつも作られていくわけである。
弘中惇一郎提到,其實每個人對身旁的人、發生的事,本來就不可能完全關心或是深刻記憶,再加上記憶本來就會隨著時間的經過而逐漸淡化,記憶本來就不可靠,但日本檢方有的卻會無視這些,針對被告也不確定的事,故意告以「就是那天吧」,試圖讓被告的記憶照著檢方的劇本走。
両事件とも、検察官は自分たちに都合のいい内容の〝想定問答集〟を作り、「こちらがこう質問するから、こう答えろ」と、法廷でシナリオどおりに話すよう証人に強要していたのである。
通常、検察官は、このような不正な資料をすぐに回収してしまう。本件でも、尋問が終わったあと、すべての証人にシナリオを返却するよう指示していたはずだが、結果として、山口氏と赤堀氏とは返さずに持ち帰っていたのである。よく、これを長年保管しておいてくれたと感謝した。
離譜的是,日本檢方竟然還出現幫證人做「想定問答集」,也就是檢方為了讓案件照著自己起訴的事實一致,幫忙寫出一疊厚厚地問答集,要求證人照著上面寫好的答案在開庭前背好,開庭法官問什麼,證人就要照著問答集的答案按圖索驥答出來,如果證人不照著做,證人就會面臨被起訴的風險。最誇張的是,日本檢方串證完還忘記要擦屁股,竟然竟然沒有將問答集予以回收,導致事跡敗露,幾個檢察官因此被起訴跟下台。

律師律見羈押中的被告之目的
面對檢方一連串強勢的偵訊,律師在刑事案件的角色是什麼?尤其是面對羈押中的被告,到底可以起到怎樣的作用呢?
接見の目的は、被疑者・被告人に対するアドバイスのほかにもいくつかある。一つは、被疑者・被告人の闘う意欲を維持することである。接見のもう一つの目的は、弁護活動に役立つ情報を得ることだ。当事者からの情報は弁護活動を進めるうえで非常に重要である。
弁護活動では、初めから事件の全体像が頭のなかに浮かぶわけではない。だんだんと形が見えてくるものである。
こうした調査が必ずしも役に立つとは限らないが、偶然耳にした些細な情報が思わぬ方向に展開することもある。
それは裁判官にはできないことだから、裁判官を説得できるだけの判断材料を提示するためにも、現場主義は重要である。
「被疑者ノート」とは、弁護人が勾留中の被疑者に差し入れて、日々の取り調べ状況などを記録してもらうノートである。接見の際、被疑者がこのノートを弁護人に見せて、日々の取り調べがどのようにおこなわれているか説明することで、被疑者と弁護人との秘密交通権を実質的なものにできる。不当な取り調べがおこなわれていないか確認したり、事実に反する調書を取られないようにするための有効な手段にもなる。
弘中惇一郎認為,律見有幾個目的,第一個就是維持被告的戰鬥意志,因為羈押中的被告,人身自由受到拘束,無法獲知外界的消息,面對檢方的偵訊,可能因此喪失捍衛自己權利的鬥志。
當然,律師身為辯護人,也只有在接見被告時,透過被告親身經歷的口述,始得瞭解案情的來龍去脈,協助法官拼湊出案件的全貌。而透過傾聽被告,有時甚至會聽到一些意想不到的情報或有利證據。

對檢察體系的反省
法律家にはバランス感覚が強く求められる。自分の持つさまざまな知識と経験から、「この人は事実を知っているか否か」「この人の言っていることは正しいか否か」の判断をすべきはずである。ところが検察、特に特捜という組織は、初めからシナリオありきで、そこにはめ込んで落として口を割らせるという手法をもてはやす。そうやって取った調書が上から評価されるこのように、法律家として本来必要な個々のバランス感覚を無視して成り立っているところに、検察組織の問題があると思うのである。
国策捜査とは、検察──なかでも特捜検察──が、ある政治的意図に基づいておこなう捜査のことを言う。たまたま犯罪が発覚したので犯人を逮捕・起訴するのではなく、特定の人物を逮捕・起訴することを前提に、何らかの問題を見つけ出してきて、捜査を進めるのである。標的とされるのは、政治家、官僚、経済人、学者など社会の中枢に位置する人物だ。
弘中惇一郎對日本特偵組提出批判,當檢方有了特定的政治目的,鎖定好某個政治家、官僚等時,那麼接下來,對於這些大人物旁的其他小人物的搜查、逮捕,很有可能都是為了實現這個政治目的而做的,這往往因此造成冤案的發生。
検察官は「起訴した以上は無罪にしてはいけない」という妙な強迫観念があるためか、無理やり証拠を作ったり、事実を隠したりしてしまう傾向がある。人間がやることには間違いもあるのだから、裁判の結果が無罪になっても、「見立て違いでした。申し訳ありません」と、真摯に受け止めればいいではないか。白を黒にするよりは、そのほうがよほどいいと思う。
弘中惇一郎認為造成日本檢方為達目的不擇手段的原因,很有可能是因為日本刑事的定罪率超過99.9%,這樣的壓力下,造成日本檢方必須隱瞞事實、串證等弊病。

第二部份:政治の季節

マクリーン事件
今は違うかもしれないが、当時は収容施設に入れられると、家族と面会するときでも母国語を使ってはいけないことになっていた。外国人に対して母国語を使うなとは、いったいどういうことなのか、理解に苦しんだ。
第二部分是講述政治運動事件,時間點約落在1960-1980年代間,其中マクリーン事件講述的是外國人是否有人權?其權利的範圍為何,可以看到過去外國人在日本的基本人權,也是經過一番努力才爭取到的。

第三部份:醫療訴訟及藥害事件

千華ちゃんの遺族が和解に応じてから、三〇年以上の歳月が流れた。
二〇年にわたる裁判で関係者が次々と死去。
そのため、裁判が終わる頃には、原告の人数が三分の二ぐらいに減っていた。
第三部份講述的是醫療訴訟及藥害事件,這部分讀起來很悲傷,因為此類訴訟往往歷時漫長,一打就是數十年起跳,在這樣漫長的時間裡,即便取得到勝訴判決,很多當事人早就已經不在人間了.......。

クロマイ.クロロキン薬害事件
しかし、和解交渉はなかなか進まず、そのうちに裁判長が交代した。新しい裁判長は、準備書面や書証*2を読んでもよく理解できなかったようで、「どういう証拠があり、どういう主張をしているのか、口頭でわかりやすく説明してほしい」と双方に求めた。一〇年以上かけて提出してきた専門的な文献類や準備書面を、一~二ヵ月で全部読んで理解しろというのは確かに無理と思われたので、そのための期日を設けてもらって、要約した書面を準備したうえで、口頭でわかりやすく説明した。
ところが、しばらくするとその裁判長も交代した。次の裁判長も「わかりやすい説明を」と同じことを言う。「前の裁判長にもそう言われたんですがね。もういなくならないでしょうね」と念を押して説明のための期日を設けてもらったが、結局、その裁判長もまた交代してしまった。
在這漫長的訴訟中,承審法官不斷換人,訴訟資料、文獻又極其龐雜,每換一次法官,為了讓法官在一兩個月內跟上幾十年的訴訟資料,這時律師們只好盡可能以書面或是口頭說明,讓法官得以盡快跟上進度。可以想見,訴訟時間肯定會拖得更漫長了。
なにしろ内容が難しく、延々と難解な統計学の話が続く。そのため私が高橋氏を尋問した時は、法廷で居眠りをしてしまう人が続出した。裁判官も寝ている、被告側の弁護士も眠っている、こちらの弁護士まで眠っていた。
也因為,藥害訴訟真的太專業,涉及到很多專業的術語,非本業的法官或是律師們,有實在枯燥的開庭過程中,還會出現偷偷打瞌睡的滑稽情狀。

医療過誤事件
l 原告の勝訴率はわずか一七%  医療過誤による被害に遭うことは、ある日突然、誰にでも起こり得る。
しかも、個人にとっては防ぎようのないことが多い。車に乗る時なら「事故に気を付けよう」と注意することもできるが、手術台に乗せられたら、「気を付けよう」と思ってもどうにもならない。本人は麻酔を打たれて意識もないし、手術室のなかには家族もいないのだ。
本人も家族も「簡単な手術だからすぐ元気になって家に戻れる」と思っていたのに、不幸にも命を落としたり、深刻な後遺症を負わされたりする悲劇が起こる。被害を受けた患者やその家族は、とうてい納得できず、裁判を起こす。
しかし、医療過誤訴訟には専門的かつ高度な医学知識や知見が必要なため、裁判に決着がつくまでに時間がかかるうえ、被害者が勝訴するのはかなり難しい。
醫療過失的被害人,在第一時間往往是被麻醉、躺在手術台,任人切割的那一個,無法在第一時間發覺應對手術當下出現的問題。家屬也僅能憑著醫生的告知,被迫立即做出決定。原本以為是一個簡單的手術,卻因為醫生的失誤或誤判,導致無法挽回的悲劇。

律師在醫療過失訴訟的角色
私自身は医療過誤事件と取り組むようになって以来、ビジネスとして依頼人をサポートするのではなく、被害者や被害家族の心情に添うことを基本としてきた。
やり場のない気持ちを抱えて苦しんでいる人たちの話に耳を傾け、アドバイスできることはアドバイスし、調べられることは調べる。そうすると、最終的に裁判には負けたとしても、依頼人の気持ちが落ち着くことは、かなり多いのである。
時には、裁判の戦い方について弁護士と依頼人で考え方が異なることもあるし、弁護士は「ここが和解の着地点だ」と思っていても、依頼人が「絶対に和解しない」と言う場合もある。どう対応するかは弁護士にもよるが、私は、依頼人の気持ちのほうを重視している。裁判の勝ち負けよりも、被害者の気持ちに寄り添い納得してもらうことが大事だと思うからである。
醫療過失訴訟中,律師除了看文獻、寫書狀、開庭等例行工作外,弘中惇一郎認為更重要的一點就是能夠傾聽與同理心,尊重當事人的決定,比起裁判的勝負,當事人的心情更是重要。

第四部份:為惡人辯護?三浦和義事件

刑事被告人というのは、圧倒的に弱い存在だ。
第四部分則是為刑事被告辯護,可以感覺到弘中惇一郎真的是一位執業很久的律師,這裡他思考的是,到底什麼是「惡人」?一位被告,原本是一位普通人,在警方的搜索下,他一躍變成嗜血媒體聳動標題底下的「惡人」,這個人到底有沒有作「惡」,沒有人知道,也沒有人想知道,也不給這個人有機會解釋,一個普通人就這樣,一夕之間,他被媒體撻伐、被全民公審,甚至影響污染到法院的心證。弘中惇一郎想問的是,為什麼不給一位「普通人」有解釋的機會?
每個人在社會上可能一直都是普通人,但每個人也有可能成為刑事的被告,例如:、公然侮辱、誹謗、酒駕、詐欺、背信、竊盜等,為什麼每個人非得等到自己淪為被告時,才體會到「為什麼偵查、審判程序對被告這麼不友善、不公平呢?」,書中可以看到弘中惇一郎執業多年的反思。
依頼人と直接話をして見えてくる風景と、メディア側から見る風景とは、まったく違う。
「なぜあなたは好んでそういう悪人の弁護をするのか?」と質問されることもよくある。
しかし、私は逆に問いたい。「なぜあなたは彼らを悪人と言うのですか?」と。  彼らは悪人ではない。一時的にマスコミから、悪人であるかのように書き立てられただけである。私自身、彼らを「悪人」だと思ったことは一度もない。
検察が、自分たちのストーリーに沿った情報を記者たちにリークするという、常套手段を使っていたからである。マスコミは、読者や視聴者を喜ばせるために、バッシングの対象となる「悪人」を常に必要としている。
マスコミがどのように報じ、世間がどう噂しようとも、弁護士が依頼人に対して先入観を持って接するべきではない。世間から「悪人」とみなされていることを理由に弁護を断ることなどない。弁護士のもとに来るのは、捜査当局や世間から不当に弾圧されたり、非難されたりしている人たちだ。「悪人」とみなされ深刻な被害を受けているからこそ、弁護士を頼ってくる。それを「悪人だから受けない」というのでは、刑事弁護は成り立たないし、そもそも弁護士の存在意義がなくなってしまう。
多くの人は、報道によって作り上げられたイメージを鵜吞みにして、刑事被告人を「社会の敵」「悪人」とみなし、「悪い奴だから徹底的に叩き潰してしまえ」と乱暴に考えがちである。それは、刑事被告人になることの怖さを知らないからだと思う。
人々は、この事件を推理ドラマか映画を観るように好奇の眼で追った。大多数は「三浦氏はクロだ」と信じ込んでいただろうが、実際のところはクロでもシロでもどうでもよく、彼がマスコミに追及されていく様子を「娯楽」として楽しんでいた感がある。

弘中惇一郎的律師執業心得

律師的意義
国家権力と対峙して、人権抑圧されている人の側に立ち、その人の権利を擁護する──。弁護士というのは、本来そういうものではないかと私は思う。

如何判斷當事人是否可信賴
では、依頼人が信用できるかどうかを、弁護士はどういうところで判断するのか。
第一のポイントは、本当のことを言ってくれるかどうかだ。事実を隠されたままでは弁護のしようがない。悪いことをしたならしたで、事実を言ってくれれば弁護の方法がある。
第二のポイントは、弁護士の意見に依頼人が耳を傾けてくれるかどうかだ。
ある刑事事件の弁護で、依頼人が私の意見をまったく聞かず、自分で勝手に決めた弁護方針に従わせようとしたことがあった。「そういうやり方はおかしいと思う」と言っても、とにかく自分の決めたようにやれと言う。
どういう方向で裁判を戦っていくかは双方の話し合いになるが、法律の専門的なことは弁護人の意見をある程度聞いてくれないと、裁判を続けていくことさえ難しくなってしまう。ついに私は、これ以上一緒にやるのは無理だと判断し、辞任することとなった。
這真的是非常可貴的心得!
沒錯,判斷當事人是否可信賴,重點就是看當事人會不會對律師說謊。試想,請律師的目的無非是希望在法律上取得對自己有利的判決,如果請律師了還一直對律師說謊,代表著這個當事人誰也不信,律師和當事人間很難建立信賴關係。
其次,要看當事人是否聽得進去律師的法律意見。請律師就是希望律師提供法律專業意見,如果當事人連律師給的法律意見都聽不進去,一意孤行,那律師在當事人訴訟中很難起到作用,既然無法作用,很多律師寧可選擇終止委任關係。

看到刑事被告的困境
弁護人の職務は、被告人の有罪を否定する証拠をできるだけ多く集めて裁判所に提出することだ。しかし、捜査段階で弁護人が集められる情報はきわめて少ない。捜査段階では警察や検察の持っている証拠は何も見えないし、依頼人の話を聞くといっても拘置所での接見だから、集められる情報はたかが知れている。弁護士が動けるのは、依頼人が起訴され、相手側の証拠を全部見てからにならざるを得ない。刑事裁判が難しいのはこの点である。
また、冤罪であっても、脅しや誘導によって自白が強要され、裁判でその供述調書が偏重されることもよくある。冤罪でなくても、不当に重い処罰を受けるかもしれない。まかり間違えば、死刑になるかもしれない。
刑事被告人は、このような立場に置かれているのだ。これほど弱い存在はないであろう。
しかし、普通の生活を送っている人々は、刑事事件は自分とはまったく関係ないと思っている。ましてや、自分が刑事被告人になるなど想像もしていない。そのため、刑事被告人が弱者であるという発想そのものが、頭のなかから抜け落ちているのだ。 「いや、被害者こそ弱者だ。もっと被害者の声に耳を傾けるべきだ」と、読者の皆さんは思われるかもしれない。
被告人自身が罪を認め、弁護士も認めている事件であれば、「被害者の声を聞け」というのは確かに理にかなっている。
しかし、無罪を争っている場合には、その被告人が本当に罪を犯したかどうかはわからない。そこに被害者が出てきて、確たる理屈もなく「この人を厳しく処罰して下さい」と求めるのは、おかしな話だと私は思っている。
這裡弘中惇一郎提到,一般人的思維多是,被害人才是最可憐的,但多數人卻忽略了如果是一個根本沒有犯罪的被告呢?只因為同情被害人,卻得放棄一個生而為人應有的人權嗎?

律師應有的能力
自分で考えて、すぐに行動に移せるのは弁護士の特権とも言えるだろう。裁判官にはできないことだし、検察官でもなかなか思うようにはできないはずだ。
また、弁護士には想像力と創造力が欠かせない。目の前にあるものだけでなく、事件全体をイメージし、あらゆる可能性を排除せず、「何が足りないか」を常に考えなくてはいけない。

如何贏得勝訴判決
刑事裁判で無罪を取るためには、三つの条件があると言われる。事件の筋が良いこと、弁護人がやるべきことをきちんとやること、裁判官がまともであること。この三つが揃わないと、無罪を取るのは不可能と言ってもいい。 「事件の筋が良い」とは、被告人の主張に合理性・一貫性があって信頼できること、周囲の人たちがきちんと支えていることなどだ。
看到這裡,又是一陣心有戚戚焉。
執業以來,多多少少也覺得,要贏得勝訴判決,首重,案件的體質,什麼叫案件體質呢?就是案件原本的勝訴率,或者說有道理的程度。其次,就是委任律師進行法律攻防,最後,也是最重要的,就是法官,畢竟「法官緣,主人福」,遇到願意理解的法官,才有可能真正取得一個勝訴判決。

對未來律師產業的憂心
司法改革により弁護士の数が増えたこともあり、弁護士の立ち位置が徐々に「在野」から「権力側」にシフトしている感じがする。
弘中惇一郎認為,律師,理應為在野的法曹,但是隨著律師人數愈來愈多,律師覬覦權勢地位,他因此擔憂律師會忘了本應有的職責,而傾向權力端,忘記初衷。

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