------------閱讀文章前,先來背個單字吧------------- むげに adv. 毫不留情地;さかえたる 繁榮的;切りぬける v. 突破;囃はやす v. 起哄;ひったくる v. 搶奪、猛地奪取;したたか adv. 狠狠地;なまじいに adv. 輕率地、不明不白地
内供は、誦ずしかけた経文をやめて、禿はげ頭を傾けながら、時々こう呟つぶやく事があった。愛すべき内供は、そう云う時になると、必ずぼんやり、傍かたわらにかけた普賢ふげんの画像を眺めながら、鼻の長かった四五日前の事を憶おもい出して、「今はむげにいやしくなりさがれる人の、さかえたる昔をしのぶがごとく」ふさぎこんでしまうのである。――内供には、遺憾いかんながらこの問に答を与える明が欠けていた。
――人間の心には互に矛盾むじゅんした二つの感情がある。勿論、誰でも他人の不幸に同情しない者はない。所がその人がその不幸を、どうにかして切りぬける事が出来ると、今度はこっちで何となく物足りないような心もちがする。少し誇張して云えば、もう一度その人を、同じ不幸に陥おとしいれて見たいような気にさえなる。そうしていつの間にか、消極的ではあるが、ある敵意をその人に対して抱くような事になる。――内供が、理由を知らないながらも、何となく不快に思ったのは、池の尾の僧俗の態度に、この傍観者の利己主義をそれとなく感づいたからにほかならない。
そこで内供は日毎に機嫌きげんが悪くなった。二言目には、誰でも意地悪く叱しかりつける。しまいには鼻の療治りょうじをしたあの弟子の僧でさえ、「内供は法慳貪ほうけんどんの罪を受けられるぞ」と陰口をきくほどになった。殊に内供を怒らせたのは、例の悪戯いたずらな中童子である。ある日、けたたましく犬の吠ほえる声がするので、内供が何気なく外へ出て見ると、中童子は、二尺ばかりの木の片きれをふりまわして、毛の長い、痩やせた尨犬むくいぬを逐おいまわしている。それもただ、逐いまわしているのではない。「鼻を打たれまい。それ、鼻を打たれまい」と囃はやしながら、逐いまわしているのである。内供は、中童子の手からその木の片をひったくって、したたかその顔を打った。木の片は以前の鼻持上はなもたげの木だったのである。内供はなまじいに、鼻の短くなったのが、かえって恨うらめしくなった。
-----------------我的感想----------------- 內供原以為擺脫長鼻就是解脫,卻沒想到周圍人的嘲笑反而變本加厲。這段故事揭露了人性的矛盾:旁觀者往往同情弱者,卻在弱者獲得改善後產生敵意。我覺得最讓人感慨的是,內供從一開始的羞恥、自我厭惡,到短暫的自滿,最後竟回到懷念過去的自己,這讓我思考「他人眼光」與「自我價值」之間的拉扯。鼻子的長短,其實根本不是重點,重點是人心對變化的殘酷與不安。
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- 內供對於「鼻子變短」後感到不快的真正原因是什麼?
-----------------中文翻譯-----------------
內供有時會停止誦經,一邊歪著禿頭,一邊喃喃自語。他那慈祥可愛的樣子在這時總會望著一旁掛著的普賢菩薩畫像,心中憶起幾天前鼻子還很長的自己,彷彿「如今淪落至卑賤地位的人,回想過往榮華歲月一般」而陷入憂鬱之中。——內供可惜的是,無法為這樣的心情找到答案。
——人的心中有兩種互相矛盾的情感。當別人遭遇不幸時,我們都會表示同情;然而當對方成功擺脫困境時,我們卻會莫名感到失落。甚至有些誇張地說,還會希望那人再度陷入那不幸之中。如此一來,雖然表面冷靜,但心中卻對那人產生了一種微妙的敵意。——內供之所以感到不舒服,正是因為他從池之尾的僧俗們的態度中,模糊地察覺到了這種「旁觀者的利己主義」。
於是內供變得越來越脾氣暴躁,三句不離惡言惡語。到最後,甚至連曾為他治療鼻子的弟子僧也在背後嘀咕:「內供大概是得了法慳貪的業報吧。」內供尤其無法忍受的是那個調皮的中童子。有天,外面突然傳來狗的狂吠聲,內供出來一看,只見中童子揮舞著一根兩尺長的木棍,在追打一隻瘦瘦長毛的大狗。更過分的是,他一邊追,一邊喊道:「小心鼻子!看我打你鼻子!」內供怒不可遏,搶過那根木棍,狠狠打在中童子的臉上。這根木棍正是以前他用來撐鼻子的那一根。
內供此刻反而恨起自己原本夢寐以求的短鼻子來了。
※ 本文所引用的《鼻》原文已屬公有領域,中文翻譯與語感分析為作者自行編譯與撰寫,歡迎引用但請註明出處,也歡迎叮嚀指教喔!
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