在太宰治的作品中,以魯迅為主角的小說《惜別》最受冷淡對待,甚至最飽受日本左派文學評論家們炮火齊射的批評,說這是一部多麼失敗的小說,簡直是在扭曲魯迅的偉大形象,等等。
然而,事實真相究竟如何?
之前,我未正式閱讀該作原文之前,亦是含糊地接受這些「高見」,並沒有質疑其著名專家的觀點是否站得住腳?後來,我細讀該文本之後,才恍然大悟,得出與他們相反的看法。原來《惜別》非但不是他們所宣判的糟糕的作品,而是一部具有詳細史料(當時仙台地方志略)價值的傑出之作。依我的解讀,究其原因,太宰治踩到了他們設置的紅線:其一,將愛國英雄魯迅寫成了反俄的親日份子,其二,太宰治這部小說為應內閣情報局暨日本文學報國會而寫,帶有為官方宣傳的強烈色彩,這支反旗使自視為進步知識左派和親中派的評論家所不允許的。
關於這一點,性格靦腆的太宰治也坦誠以告,正如他在小說中後記說道:「この「惜別」は、内閣情報局と文学報国会との依嘱いしょくで書きすすめた小説には違いないけれども、しかし、両者からの話が無くても、私は、いつかは書いてみたいと思って、その材料を集め、その構想を久しく案じていた小説である。材料を集めるに当って、何かと親しく相談に乗って下さった方は、私の先輩に当る小説家、小田嶽夫たけお氏である。小田氏と支那しな文学の関係に就ついては、知らぬ人もあるまい。この小田氏の賛成と援助が無かったら、不精ぶしょうの私には、とてもこのような骨の折れる小説に取りかかる決意がつかなかったのではあるまいかとさえ思われるほどである。)
客觀而言,由於語言限制而沒能閱讀《惜別》原文的讀者,只能接受和遵循中譯本及其附錄評論家權威導讀這樣的「決定論」了。這也是無可奈何的現實。所以,看來要為太宰治聲辯幾句或者和為其恢復名譽,總是要付出難以計數的辛勞了。(2024年4月27日)
注:《惜別》書影取自日本拍賣網站,初版拍價18000日圓。